中和田天神社|旧北野村より移り住んだ人が故郷の北野天満宮を勧請
中和田天神社の概要
中和田天神社は、多摩市和田にある神社です。中和田天神社は、旧北野村より移り住んだ人が故郷の北野天満宮を勧請して寛永3年(1626)に創建したといいます。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 多摩市和田1025-11 |
祭日 | - |
備考 | - |
中和田天神社の由緒
中和田天神社は、旧北野村より移り住んだ人が故郷の北野天満宮を勧請して寛永3年(1626)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による中和田天神社の由緒
(中和田村)天神社
社地、四畝許、村の西大塚村の堺にあり、二尺四方の宮にて、上屋九尺に二間、南向なり、神體は丸き石にて、長七寸ばかり、棟札あり、寛永九の三字わづかによむべくして、その餘は消磨してよむべからず、例祭年々二月廿五日、村持(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による中和田天神社の由緒
掲載なし(東京都神社名鑑より)
「多摩市史」による中和田天神社の由緒
【天神社(天満宮)】大塚村との境にある中和田村持ちの神社で、例年二月二十五日に祭礼が行われていた。文政ごろには残っていたという寛永九年(一六三二)の棟札(『風土記稿』)の所在は不明だが、延宝二年(一六七四)から天明三年(一七八三)にかけて六度にわたり社殿・宝殿の再建、屋根の葺替えが行われたことを示す棟札の写が、当時の名主石阪家に残されている。(「多摩市史」より)
境内石碑による中和田天神社の由緒
中和田天満宮由緒
太古よりの段丘の中腹に伏流水が湧き出で「おみたらし」状を呈していた処に旧北野村より移り住んだ人が故郷の天満宮を村人と計り勧請したと和田村旧記は伝えている。神と水は不可分であるが、この条件を満す社は近郷で当社のみである。一段と高い所にある社殿は寛永三年の創建である。新編武蔵風土記稿に寛永九年とあるが誤読で赤外線写真での確認である。
旧中和田村は江戸時代末期まで戸数は拾五軒ほどの村であったが明治初年頃より人口も増加し現在の活況を呈する様になった。平成の初めの頃か古棟札は失われてしまったが各所に大木の切株や都道改修の際まで旧参道に埋めの老大木が緑のトンネルの如く茂り古社の雰囲気であったが、その姿も今は失われ、古来の産土神とし、また学問の神天地の神五穀豊穣、身体安全の守り神として広く崇敬を集め、今は鳥居を結界として石段より上方が神域となった。平成十八年御鎮座三百八十年を記念して社殿の再建と覆屋の改修も完了し、何時までも平和で安穏な日の続くことを希い、当社の由緒を識しおく。(境内石碑より)
中和田天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「多摩市史」