上鈴木稲荷神社|新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請
上鈴木稲荷神社の概要
上鈴木稲荷神社は、小平市上水本町にある稲荷神社です。上鈴木稲荷神社は、享保8年(1723)新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したといいます。明治6年村社に列格、明治41年鈴木稲荷神社へ合祀されたものの、上鈴木の鎮守として昭和27年に還座したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 須賀神社、御岳神社 |
住所 | 小平市上水本町2-6-14 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
上鈴木稲荷神社の由緒
上鈴木稲荷神社は、享保8年(1723)新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したといいます。明治6年村社に列格、明治41年鈴木稲荷神社へ合祀されたものの、上鈴木の鎮守として昭和27年に還座したといいます。
新編武蔵風土記稿による上鈴木稲荷神社の由緒
(鈴木新田)稲荷社
除地、百五十坪、小名上にあり。其所の鎮守なり。本山派修験、同郡下小金井村光明院配下鈴木院の持。上屋九尺に二間、中に三尺四方の祠を置。南向。前に鳥居をたつ。例祭九月廿二日。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による上鈴木稲荷神社の由緒
創建年月日は不詳であるが、明治三年八月品川県御役所宛書上書に、武州多摩郡鈴木新田産土神稲荷社上下式社とある。更に翌四年の書上書には、武州多摩郡鈴木新田字上鎮守稲荷社とある。明治六年十二月村社に列せらる。明治四十一年下鈴木稲荷神社に合祀する。現社殿は昭和二十四年一月元陸軍経理学校の若松神社社殿を大蔵省より払下げを受けて、昭和二十七年二月分霊鎮座祭斎行した。(北多摩神社誌より)
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による上鈴木稲荷神社の由緒
この稲荷神社のある玉川上水南沿いは、上鈴木(現上水本町)といい、鈴木新田の中の一つに属する。
本神社は、享保8年(1723)3月、新田開発の際に親村である貫井村(現小金井市貫井町)から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したものである。
明治6年に村社に列せらる。
明治41年に、下鈴木(現鈴木町)の稲荷神社に合祀されるが、地元住民の強い要望により、昭和24年1月に元陸軍経理学校に祀られていた若松神社社殿を、大蔵省より払い下げを受け、昭和27年2月分霊鎮座祭を斉行し、再び上鈴木(現上水本町)の氏神様としてご遷座申し上げ、現在に至る。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
上鈴木稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌