回田氷川神社|回田新田の開発に際し、宅部氷川神社を勧請
回田氷川神社の概要
回田氷川神社は、小平市回田町にある氷川神社です。回田氷川神社は、回田新田の開発に際し、宅部氷川神社(廻田町)を勧請して宝暦5年(1755)に創建したといいます。回田新田の鎮守だったといい、明治4年村社に列格していました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 小平市回田町136 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
回田氷川神社の由緒
回田氷川神社は、回田新田の開発に際し、宅部氷川神社(廻田町)を勧請して宝暦5年(1755)に創建したといいます。回田新田の鎮守だったといい、明治4年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による回田氷川神社の由緒
(廻り田新田)氷川社
年貢地、村の乾の隅にあり。祠は二尺四方にて上屋九尺に二間南向、神体なし。村の鎮守なり。宝暦五年二月本村の修験三光院宅應といへるもの勧請する所なり。祭は六月十五日と九月十九日と一ヵ年二度あり。名主忠兵衛が持なり。
稲荷祠。本社に向て左の方にあり。小祠。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による回田氷川神社の由緒
東村山廻り田宅部鎮座氷川神社の神霊を回り田新田開発に当り枝宮として、名主九兵衛宝暦五乙亥年二月三日勧請した。また現社殿は安政六年己未年再建したと伝わる。明治四年村社に列せらる。(北多摩神社誌より)
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による回田氷川神社の由緒
回田新田は、狭山丘陵の東南にある廻田村(現東村山市廻田町)を親村とする新田である。その開発にあたっては、幕府に開発願を出して一定区画を割り渡されるという、一般に行われた手続きを踏まずに、享保11年(1726)野中新田から土地を譲り受けて発足した、武蔵野新田でも変った開発形式を持つ新田である。はじめの頃は、家を造って定着しようとする者など一人もいなかったが、幕府の方針もあり農民の定住が進むと、精神的支柱としての神社建立を要望する声が村人の間に起った。
そこで、宝暦5年(1755)新田の有力者である弥兵衛の持地を社地として提供してもらい、本村の氷川明神と稲荷明神の両社の枝宮として勧請したのが、この氷川神社である。
現在の社殿は、安政6年(1859)に再建されたものと言われ、昭和30年代に屋根の葺き替えその他の大改修が行われている。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
回田氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌