中将山大仙寺|江戸八丁堀に創建、昭和23年当地へ移転
大仙寺の概要
日蓮宗寺院の大仙寺は、中将山と号します。大仙寺は、正善院日堂上人(中将大仙)が文禄4年(1595)江戸八丁堀(現中央区)に起立、正保元年(1644)浅草へ移転したといいます。太平洋戦争で罹災、昭和23年当地へ移転していいます。
山号 | 中将山 |
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院号 | - |
寺号 | 大仙寺 |
本尊 | 十界勧請曼荼羅 |
住所 | 小平市上水南町2-11-20 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 各種供養受付 |
備考 | - |
大仙寺の縁起
大仙寺は、正善院日堂上人(中将大仙)が文禄4年(1595)江戸八丁堀(現中央区)に起立、正保元年(1644)浅草へ移転したといいます。太平洋戦争で罹災、昭和23年当地へ移転していいます。
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による大仙寺の縁起
この寺は、文禄4年(1595)に正善院日堂上人が江戸八丁堀(現中央区)に堂宇を構え布教したことに始まり、正保元年(1644)には浅草八軒寺町(現台東区)に移り、長くこの地にありました。
しかし、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失したため、昭和23年(1948)5月に現在の地に移転再建されたものです。
現本堂裏の墓地には、江戸末期の有名な浮世絵師歌川国芳の墓があります。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
「御府内寺社備考」による大仙寺の縁起
御府内備考続編巻之百二十五
寺院部百 法華宗
武蔵国池上本門寺末 浅草八軒寺町
中将山大仙寺(境内古跡拝領地七百二十六坪)
文禄四未年八丁堀ニ寺地拝領仕、其後正保元申年当所江替地被下引移申候。伝聞ニ二条関白良実公猶子、池上十二代仏乗院日惺弟子、中将大仙為出家得道字旭惺日堂。叡山勤学後伝教大師作子安鬼子母神、日法作日蓮之像有感得而、関東江持参り池上日惺付候間ニ、大久保石見守様御取持ニ而地処拝領仕候。
〇開山正善院日堂聖人、正保二酉年三月十六日寂。
〇中興妙華院日帖、寛政六寅年八月寂。
〇中興開基高雲院自証日理居士、俗名田中久蔵。元文五庚寅年二月廿三日卒。
〇本堂(間口六間半奥行六間)向拝(九尺ニ二間半)内陣(土蔵方三間)
本尊釈迦牟尼仏 多宝如来 日蓮大菩薩 上行菩薩 無辺行菩薩 浄行菩薩 安立行菩薩 持国天王 広目天王 増長天王 毘沙門天王
〇祖師堂 拝殿(間口三間奥行二間)向拝(三間ニ九尺)内陣(土蔵造リ間口二間奥行二間半)開運日蓮大菩薩立像
〇鎮守社 拝殿(間口三間奥行二間)子安鬼子母神(立像長六寸二分伝教大師之作)八幡・七面・稲荷・十羅刹女・大黒天相殿
〇避火大権現小社
以上乙酉書上(「御府内寺社備考」より)
大仙寺の周辺図
参考資料
- 公式ページ:大仙寺 | 東京都小平市 墓地 永代供養 先祖供養 水子供養
- 御府内寺社備考