本町八幡神社|昭和8年頃に西元町八幡神社の分霊を勧請
本町八幡神社の概要
本町八幡神社は、国分寺市本町にある神社です。本町八幡神社は、昭和8年頃に西元町八幡神社の分霊を本町3丁目付近に奉斎、昭和26(1951)年当地へ移転したといいます。
社号 | 八幡神社 |
---|---|
祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 国分寺市本町4-22-15 |
祭日 | - |
備考 | - |
本町八幡神社の由緒
本町八幡神社は、昭和8年頃に西元町八幡神社の分霊を本町3丁目付近に奉斎、昭和26(1951)年当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による本町八幡神社の由緒
(榎木戸新田)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による本町八幡神社の由緒
昭和二十六年三月二十八日、規承第一四八号により神社本庁統理の承認を受け、国分寺市国分寺一六二四番地鎮座八幡神社の祭神八幡神社の祭神分祀を得鎮祭した。(北多摩神社誌より)
「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による本町八幡神社の由緒
本町八幡神社は、西武鉄道多摩湖線西際に配される神社で、線路際の市道に東面して参道を開き、突き当たりに旧本殿、拝殿跡、境内北辺に仮本殿、穀豊稲荷神社、御輿庫、子育弁天社、南辺は本町三・四児童公園として遊具等が整備されています。
この神社の来歴は昭和8(1933)年頃、現在地から200メートル程東方の本町三丁目に西元町の八幡神社を分祀したことに始まり、昭和26(1951)年になって現在地へ移転されました。また、穀豊稲荷社は昭和23(1948)年、今村邸から寄贈を受けたものとされ、子育弁財天社は昭和48(1973)年、西武自動車車庫付近にあった和地邸宅にあった弁財天の寄贈を受けたものとします。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
本町八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」