つくし野杉山神社|当地に鎮座の三社を文化4年当地に遷座奉斎
つくし野杉山神社の概要
つくし野杉山神社は、町田市つくし野にある神社です。つくし野杉山神社の創建年代等は不詳ながら、当地小川村にあった三島社、杉山社、山王社の三社を文化4年(1807)当地に奉斎、明治38年杉山神社に三島社、山王社を合祀したといいます。
社号 | 杉山神社 |
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祭神 | 日本武尊、事代主命、大山咋命 |
相殿 | - |
境外社 | 稲荷社 |
住所 | 町田市つくし野2-8-3 |
祭日 | 8月28日 |
備考 | - |
つくし野杉山神社の由緒
つくし野杉山神社の創建年代等は不詳ながら、当地小川村にあった三島社、杉山社、山王社の三社を文化4年(1807)当地に奉斎、明治38年杉山神社に三島社、山王社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿によるつくし野杉山神社の由緒
(小川村)
三島社
社地一段餘、字中嶋にあり、勧請の年代を傳へず、社は二尺四方にて覆屋あり、白幣を神體とす、社に向て右の方に池あり、廻り八九間ばかり、この水いかなる炎暑といへども涸る事なしといふ、福壽院の持。
末社稲荷社。社に向て左の方にあり、小社なり、白幣を神體とす。
杉山社
これも中嶋にあり、勧請の年代を傳へず、社は四尺五寸に二尺五寸覆屋あり、神體は白幣なり、福壽院の持。
太神宮
社地八畝、同邊にあり、小社にて上屋あり、白幣を神體とす、社頭に大松二株あり、一は圍一丈ばかり、一は八尺ばかりなり、同寺持。
山王社
字谷にあり、小祠にて覆屋あり、これも白幣を神體とす、福壽院持なり、右に出せる杉山・山王・三嶋の三社いづれも村の鎮守なり、年々九月二十六日、次第して一社づつ祭禮を行ふ。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑によるつくし野杉山神社の由緒
創建の年代は不詳である。文化四年(一八〇七)十一月社殿再建し、天保十一年(一八四〇)六月地頭大久保勘三郎藤原忠寿と家臣下沢喜多録藤原寿利により再建した。文久三年(一八六三)九月再建、明治三十六年十月二十六日拝殿新築し、三十八年九月三島大明神、山王大権現社を合祀した。昭和五年二月社殿改築する。西向の神社である。(東京都神社名鑑より)
「町田市史」によるつくし野杉山神社の由緒
杉山神社(つくし野)
創建の年代は明らかではない。社宝の棟札には文化四年(一八〇七)一一月に杉山大明神、三嶋大明神、山王大権現三社を現在地に奉斎したとある。天保一四年(一八四三)六月ごろよりは除地であった。文久三年(一八六三)九月には社殿を再建し、昭和五年(一九三〇)一二月二七日にも改築している。境内地に地頭の大久保勘三郎藤原忠寿の名のある天保一一年六月の石柱がある。現在の社殿は昭和四九年九月二七日の建立で、鉄筋コンクリート流れ造りである。
杉山神社は昔より武蔵国の古社ではあるが、同名の社がおびただしく、どの社が延喜式所載のそれか決定が困難であった。
『新編武蔵風土記稿』には都筑郡二四社、橘樹郡三七社、久良岐郡五社、南多摩郡六社、計七二社の多きにおよんでいた。現在の明細帳には、横浜市三七社、川崎市三社、町田市五社、稲城市一社で計四六社である。
祭神は日本武尊、事代主命、大山咋命を奉斎している。
例祭日は、毎年九月二七日である。
境内坪数二八二坪。町田市つくし野二ノ八番地に鎮座。(「町田市史」より)
境内掲示によるつくし野杉山神社の由緒
杉当神社は光格天皇の文化四年十一月再建
天保十一年六月地頭大久保勘三郎藤原忠寿と家臣下沢喜多録藤原寿利にて再建した。
文久三年九月再建(棟札)
明治三十六年十月二十六日拝殿新築、明治三十八年九月三島大明神・山王大権現を合祀した。
杉山神社は都筑郡に二十四社、橘樹郡に三十七社、久良岐郡に五社、南多摩郡に六社と記されている。小川村杉山神社はその南多摩郡六社中の一社である。(境内掲示より)
つくし野杉山神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 町田市史