長瀧山妙延寺|渋谷左近尉重宗が開基、応永2年創建
妙延寺の概要
日蓮宗寺院の妙延寺は、長瀧山多聞院と号します。妙延寺は、渋谷左近尉重宗が開基、池上本門寺第四世日山の弟子日顕(正長2年寂)が開山となり、応永2年(1395)に創建したといいます。
山号 | 長瀧山 |
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院号 | 多聞院 |
寺号 | 妙延寺 |
住所 | 町田市森野2-9-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙延寺の縁起
妙延寺は、渋谷左近尉重宗が開基、池上本門寺第四世日山の弟子日顕(正長2年寂)が開山となり、応永2年(1395)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による妙延寺の縁起
(森野村)妙延寺
除地、五畝廿五歩、字中にあり、日蓮宗、荏原郡池上本門寺末、長瀧山多聞院と號す、本山第四世日山の弟子日顕開闢せり、日顕は正長二年七月廿三日化す、本堂七間半四方、本尊三寳祖師を安す。
寺寳
十界勧請曼荼羅一軸、長三尺三寸、幅一尺七寸、嘉元三年九月日興書とあり、日興は日蓮の弟子六老僧の第三なり。
経文残闕、日蓮の筆なり、下総國葛飾郡中山法華経寺日輝日允が延宝六年の裏書あり。
鐘楼、本堂に向て右にあり、九尺に二間、鐘は寶曆年中に鋳しものなり、銘文もあれどここに略せり。
祖師堂、本堂に向て左にあり、五間四方、祖師の木像長二尺ばかり、中老日法の作なり。
番神堂、これも左の方なり、三間に二間、番神は木の小像なり、左右に七面妙見の二像を安す。
赤山社、番神堂の南にあり、九尺に二間の社あり、赤山は疱瘡を守護する神なりと云。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による妙延寺の縁起
妙延寺(森野)
所在地 町田市森野字中にある。
宗派 日蓮宗。池上本門寺末。
山寺号 長滝山多聞院妙延寺。
開山 本門寺四世日山の弟子日顕開山。正長二年(一四二九)七月二三日死。応永二己亥七月(一三九五)開創と過去帳に記す。
開基 渋谷左近尉重宗。この重宗、入来院文書の渋谷系図に一致。現在子孫四八戸を数えすべて妙延寺檀家である。
本尊 一木三躰日法彫刻と伝えるが、時代はずっとさがるようで、像底の書込みは「寛永五年(一六二八)五月」が最も古い。三宝祖師 。住職金子文譲師は安産守護の仏像として今日に伝えられたという。
本堂 慶応二年建築の八間四面の祖師堂は昭和二〇年五月二四日夜半米軍焼夷弾により焼失。現本堂、木造瓦葺寄棟造。七間と六間、ほかに回廊一間幅のものをめぐらした建築は、昭和三八年一一月落慶した。
庫裡 昭和二一年本堂代わりに建てられた二〇坪五合に、いくどか建増して現在五〇坪の木造平屋瓦葺一戸。
鐘楼 前本堂と共に米軍焼夷弾のため焼失した。再建未成。
山門 間口九尺。左右の袖各一間。奥行九尺、鎧扉づき。銅葺、欅の冠木門。この門のみ昭和二〇年の兵火をまぬかれた山門内に九尺と四尺のお水屋あり。また、六坪の納屋を加う。
神明社 地主神二五坪を配す。
寺宝 十界勧請曼陀羅。日蓮経文残闕等は、すべて類焼。
境内妙見、七面の番神堂、疱瘡の守護神赤山社などもみな焼失してない。享和四年(一八〇四)「村明細帳」に、左記のように幕府に報告してあるので、上記調査の補足としてあげておこう。
一本尊 三宝並諸尊、南無妙法蓮花経、本寺武州荏原郡池上、長栄山本門寺末、日蓮宗、長滝山妙延寺、但無作仏、開基本寺四代目日山弟子日顗、年歴相知不申候。一元祖日蓮大菩薩木像小堂、但古来より日法之作仏と申伝同寺ニ安置罷有申候(「町田市史」より)
妙延寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」