三枝山観性寺|武相卯歳観音霊場四十八ヶ所
観性寺の概要
曹洞宗寺院の観性寺は、三枝山と号します。観性寺は、東雲寺三世松山南茂和尚(万治3年160年寂)が、万治元年(1658)に開創したといいます。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所4番です。
山号 | 三枝山 |
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院号 | - |
寺号 | 観性寺 |
住所 | 町田市西成瀬2-11-8 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観性寺の縁起
観性寺は、東雲寺三世松山南茂和尚(万治3年160年寂)が、万治元年(1658)に開創したといいます。
新編武蔵風土記稿による観性寺の縁起
(成瀬村)観性寺
除地、八段、字三叉にあり、曹洞宗にて、東雲寺の末寺なり、三枝山と號す、開山松山萬治三年九月九日寂せり、本堂五間に六間巽向なり、本尊は如意輪観音木の坐像にして、長一尺、行基菩薩の作なりと云。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による観性寺の縁起
観性寺(成瀬)
所在地 町田市成瀬字三又。
宗派 曹洞宗。成瀬東雲寺末。
山寺号 三枝山観性寺。
開山 松山(万治三年九月九日寂)。
本堂 正面中央一面のキツネ格子戸あり、左右一間半、奥行三間二尺。『風土記稿』には、「五間に六間巽向なり」としてあるので、現在のものは、その間に改築されたものらしいが不明。
境内地 『風土記稿』には「除地八段」としてあるが、現在裏山に寺僧と檀家の墓地があり、この辺までを加算してのことであろう。
本尊 如意林観音。行基作と伝える木座像で、「卯年の観音」と称し、武州四番札所であったが、いまは廃寺寸前にあるようで、無住である。(「町田市史」より)
境内掲示による観性寺の縁起
開山南茂和尚、深く帰崇するところあり、谷戸上合講中発願のもと、普く捨財を勧進して当地に観性寺を建立し、本尊如意輪観世音菩薩を奉納する。
旧本堂は、新編武蔵風土記稿に「本堂五間に六間、巽向なり」であったが、後に町田市史にある通り、「正面中央一面 のキツネ格子あり、左右一間半、奥行三間二尺。」に改築されたものと思われる。爾来、谷戸上会(三ツ又・中村・鞍掛)三講中より世話人が選出され、堂宇の修理を行い維持管理されてきた。
昭和四十年代に入って周辺の宅地開発の進む中で、昭和六十一年秋に鉄筋構造の現本堂が建立され、境内も整備されて面目は一新された。(境内掲示より)
観性寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」