杵築大社|武蔵野市境南町の神社

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杵築大社|松江藩松平出羽守直政の御用屋敷鎮守として創建、武蔵野吉祥七福神の恵比須神

杵築大社の概要

杵築大社は、武蔵野市境南町にある神社です。杵築大社は、当地周辺が松江藩松平出羽守直政の御用屋敷だった江戸時代初期に、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷を松平藩の屋敷神として創建したといいます。第二次世界大戦後に出雲の美保神社よりえびす様(事代主大神)を勧請、出雲大社のだいこく様(大国主神)との二神を主祭神としているといい、えびす様は武蔵野吉祥七福神の恵比須神となっています。

杵築大社
杵築大社の概要
社号 杵築神社
祭神 大国主大神、事代主大神
相殿 -
境内社 八坂神社、稲荷神社、冨士浅間神社、金毘羅様、弁天様
住所 武蔵野市境南町1-16-13
祭日 例大祭10月第1土日。祈年祭3月8日、新嘗祭11月23日
備考 旧村社、武蔵野吉祥七福神の恵比須神



杵築大社の由緒

杵築大社は、当地周辺が松江藩松平出羽守直政の御用屋敷だった江戸時代初期に、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷を松平藩の屋敷神として創建したといいます。第二次世界大戦後に出雲の美保神社よりえびす様(事代主大神)を勧請、出雲大社のだいこく様(大国主神)との二神を主祭神としているといいます。

新編武蔵風土記稿による杵築大社の由緒

(境村)杵築大社
年貢地、三段、小名本村にあり。小祠、拝殿二間に三間東に向へり。出雲大社は同国杵築といへる地に鎮座せり。され土人信仰の余り、此所に勧請せしなるべし。其年月等は詳ならず。村内鎮守、例祭九月二十一日新座郡保谷村寶光院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による杵築大社の由緒

この神社は、杵築大社といい、今から三百五十年程前、徳川三代将軍家光の従兄弟で、家康の二男松平秀康(越前国六十七万石領主、福井北ノ庄城々主)の三男、松平出羽守直政(出雲国松江二十九万石領主松江城々主)が、当所十二町四方を御用屋敷と定め鷹狩りをして遊ばれたところと伝えられております。
出雲の殿様、松平出羽守直政公は大変信仰厚く、当屋敷内に徳川幕府の繁栄と、天下泰平を祈願され、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を御創建なされました。
承応年間、徳川四代将軍家綱は、玉川上水を築き新田開発を行ったので、当所、松平家屋敷奉行境本ち(馬編に希)馬太夫は長百姓となり、境新田の開拓につとめ、子孫、境本仲右エ門は、境村の名主として村人と共に活躍した。貞享年中、当大社は御上地となり、境村の氏神社として大社様と呼ばれ、崇敬されるようになった。
戦後、神社信仰衰微に対する啓蒙的願望と地元商店会の発展を念願して、商売繁昌の神・出雲の美保神社よりえびす様を勧請し、大黒様と共に「恵比寿・大黒」二福神を祀る大社として、地元住民はもとより近隣市町村の人々から広く崇敬をあつめている神社です。
境内社に八坂神社・稲荷神社・冨士浅間神社・金毘羅様そして弁天様があり、特に三大祭は盛大に行われます。(境内掲示より)


杵築大社所蔵の文化財

  • 杵築大社の富士山(市史跡)
  • 杵築大社の大イチョウ

杵築大社の富士山(市史跡)

この富士山は、明治14年5月境本村をはじめ近隣二十二町村の丸嘉講の協力により作られ、富士講の講中が富士登山や七富士参りをするさい、先達や講員がこの御山に道中の安全を祈願しました。
清瀬の富士山神社に次いで三多摩では最大のもので、境本村を中心とした富士信仰の規模の大きさをあらわしています。
丸嘉講は富士信仰の一つで、今から約二百年前赤坂伝馬町の近江屋嘉右エ門がおこし、本市では旧西窪以西の二百人前後の講員を擁し[○内に嘉]を講じるしとする講社です。(武蔵野市教育委員会掲示より)


杵築大社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿