金輪山寶晃院|保谷四軒寺、多摩八十八ヶ所霊場
寶晃院の概要
真言宗智山派寺院の寶晃院は、金輪山明王寺と号します。寶晃院の創建年代は不詳ですが、江戸期には尉殿権現(尉殿神社)、杵築大社の別当寺を勤めていたといいます。如意輪寺、宝樹院、西光寺(現総持寺だが移転したため、東禅寺に変更)と共に保谷四軒寺と呼ばれています。多摩八十八ヶ所霊場36番です。
山号 | 金輪山 |
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院号 | 寶晃院 |
寺号 | 明王寺 |
住所 | 西東京市住吉町1-6-5 |
本尊 | 釈迦如来 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 多摩八十八ヶ所霊場36番 |
寶晃院の縁起
寶晃院の創建年代は不詳ですが、江戸期には尉殿権現(尉殿神社)、杵築大社の別当寺を勤めていたといいます。
新編武蔵風土記稿による寶晃院の縁起
寶光院
境内年貢地7石、宝樹院の邊にあり。是も三宝寺の末、金輪山明王寺と号す。本堂8間に7間、本尊不動明王(坐像作知れず)を安す。側に弘法大師の像を置けり。
地蔵堂。門を入て左にあり。(新編武蔵風土記稿より)
寶晃院所蔵の文化財
- 六地蔵菩薩立像 万延元年(1860)建立
- 倶利迦羅不動明王(もと尉殿神社の神体)
六地蔵菩薩立像 万延元年(1860)建立
中央に主尊を立てた七基で構成する六地蔵菩薩です。七基であっても左右各三基は主尊の分身ですから、六地蔵であることに変わりはありません。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、矢上の六つの迷界に苦しむ衆生を救済する地蔵菩薩の本願に由来して、江戸時代に入ると六地蔵の信仰が庶民の間にひろまり、各地に六地蔵石仏が造立されるようになりました。
七基の基段の銘文によると、上宿・山舎・三軒屋・又六各字の岩崎・下田・保谷・貫井・都築・名古屋氏など束禅寺の檀信徒の戸主たちが、念仏講を結衆してこの六地蔵を檀那寺境内に造立しました。同寺廿二世の代であって、彫刻した石工は江戸本所の虎次郎です。その彫りは各地蔵菩薩の印相や手にする仏具など、経典の御手本にしたがって正確に造形されており、端麗な像容は地蔵石仏独特の静かな安らぎをかもしています。
主尊の基段に太く彫られている「三界万霊」は、お盆の施食供養会と関係の深いことを示しています。(西東京市教育委員会)
寶晃院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿