武蔵野八幡宮|江戸水道橋から移転、武蔵野吉祥七福神の大国様
武蔵野八幡宮の概要
武蔵野八幡宮は、武蔵野市吉祥寺東町にある神社です。武蔵野八幡宮は延暦八年(789)坂上田村麻呂が宇佐八幡大神の分霊を祀り江戸水道橋附近に創建したと伝えられます。明暦の大火(1657)後に水道橋附近(吉祥寺村)の住民が当地周辺に移住し吉祥寺村が開村するにあたり村の鎮守として、寛文年間(1661-1672)遷座したといいます。武蔵野吉祥七福神の大国様となっています。
社号 | 武蔵野八幡宮 |
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祭神 | 誉田別尊、比賣大神、大帯比賣命 |
相殿 | - |
境内社 | 大鳥神社、出雲神社、三嶋神社 |
住所 | 武蔵野市吉祥寺東町1-1-1 |
祭日 | 例大祭9月15日 |
備考 | 旧吉祥寺村鎮守、武蔵野吉祥七福神の大国様 |
武蔵野八幡宮の由緒
武蔵野八幡宮は延暦八年(789)坂上田村麻呂が宇佐八幡大神の分霊を祀り江戸水道橋附近に創建したと伝えられます。明暦の大火(1657)後に水道橋附近(吉祥寺村)の住民が当地周辺に移住し吉祥寺村が開村するにあたり村の鎮守として、寛文年間(1661-1672)遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による武蔵野八幡宮の由緒
(吉祥寺村)八幡社
安養寺の並びその寺除地の内にあり。覆屋四間四方南向、内に小祠を置、拝殿二間四方、本社へ造り添えり。神体は木の坐像長一尺五寸許、社前に鳥居を立。例祭は年々八月十五日、村の総鎮守。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による武蔵野八幡宮の由緒
延暦八年坂上田村麻呂が宇佐八幡大神の御分霊を祀ったと伝えられ、徳川四代将軍家綱が江戸小石川水道橋外吉祥寺火事の後、その周辺の町民に此の地に移住を命じ、神田上水の水源地守護神・吉祥寺村民の氏神として崇敬されてきた、毎時初年村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
武蔵野八幡宮所蔵の文化財
- むさしのばやし
- 武蔵野八幡宮の蕨手刀(武蔵野市指定文化財)
- 板碑(建武2年1335年造)
武蔵野八幡宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 東京都の歴史散歩(山川出版社)