安養寺|多摩八十八ヶ所霊場、武蔵野吉祥七福神の布袋尊
安養寺の概要
真言宗豊山派寺院の安養寺は、岸光山吉祥院と号します。安養寺は、賢乗(寛文8年1668年寂)が開山となり創建したといいます。多摩八十八ヶ所霊場1番、武蔵野吉祥七福神の布袋尊となっています。安養寺の甲辛供養塔、梵鐘は武蔵野市有形文化財に指定されています。
山号 | 岸光山 |
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院号 | 吉祥院 |
寺号 | 安養寺 |
本尊 | 不動明王像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
住所 | 武蔵野市吉祥寺東町1-1-21 |
葬儀・墓地 | 安養寺斎場 |
備考 | 多摩八十八ヶ所霊場1番、武蔵野吉祥七福神の布袋尊 |
安養寺の縁起
安養寺は、賢乗(寛文8年1668年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による安養寺の縁起
(吉祥寺村)安養寺
除地、一町一段五畝、小名四軒寺町にあり。真言宗、豊島郡谷原村長命寺末、岸養山吉祥院と称す。客殿九間に七間南向、本尊不動木の立像長二尺、開山賢乗寛文八年の寂とのみ傳へて月日は失なへり。
閻魔堂。客殿に向て左の方にあり、二間四方東向。
弁天稲荷合社。共に客殿に向ひ左の方にあり。
鐘楼。客殿に向ひ右の方にあり。九尺司法、安永年中鋳し銘文を刻す。(新編武蔵風土記稿より)
安養寺所蔵の文化財
- 安養寺の甲辛供養塔(市指定有形民俗文化財)
- 安養寺の梵鐘(市指定有形民俗文化財)
安養寺の甲辛供養塔
この庚申塔は、代官野村彦太夫により吉祥寺新田村の検地を受けた翌年の寛文五年(1665)十二月に建てられ、旧北多摩郡では最古のものに属します。碑の高さは117㎝、幅39.5㎝、厚さは13㎝あり、銘文には吉祥寺新田開発に関係の深い人達の名が刻まれ、特に女性の名が十数人も記されているのは珍しいことです。
銘文中の「南無阿弥施仏」は「南無阿弥陀仏」、「甲辛」は「庚申」だと考えられます。
庚申塔は六十回目(日、年)ごとに回ってくる「庚申」の夜を供養する塔です。(武蔵野市教育委員会掲示より)
安養寺の梵鐘
この梵鐘は安永二年(1773)十月、当時の武州多摩郡吉祥寺村の小美野(濃)源助が本寺に奉納したもので、江戸時代のものとしては市内に現存する唯一のものです。
鐘の身高は102.5㎝、竜頭高は37㎝、口径は69㎝、駒爪厚は7㎝です。梵鐘としては大きい方で、竜頭の二本の角は江戸期のものの特徴をよくあらわしています。
鋳造した人は境村の高橋甚右衛門尉藤原宣満といい、鋳物師・七之丞とも呼ばれた人です。このように本鐘は、当市域の鋳物師の存在を知る史料としても貴重なものです。(武蔵野市教育委員会掲示より)
安養寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿