新川天神社|野川村天神山に鎮座していたものを寛永16年遷座
新川天神社の概要
新川天神社は、三鷹市新川にある神社です。新川天神社の創建年代は不詳ですが、野川村天神山に鎮座していたものを寛永16年(1640)当地に遷座、明治33年村社に列格したといいます。
社号 | 天神社 |
---|---|
祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 疱瘡神・疱瘡石尊 |
住所 | 三鷹市新川2-1-21 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
新川天神社の由緒
新川天神社の創建年代は不詳ですが、野川村天神山に鎮座していたものを寛永16年(1640)当地に遷座、明治33年村社に列格したといいます。
境内掲示による新川天神社の由緒
里老の言に依れば創立年月不詳と雖も往年は北多摩郡野川村天神山に鎮座せる処、寛永(一六二四〜一六四四)年間現在地天神前北浦耕地に遷宮元禄(一六八八〜一七〇四)年間本殿の修復を加えたり、以後明治十四年九月台風の為社殿倒壊せるに依り明治十五年二月再建す。
昭和参拾貳年拾月社殿老朽化せるに依り改修をなす。
近郷名士崇敬徳に篤く神徳顕著なり。(境内掲示より)
「三鷹市史」による新川天神社の由緒
祭神、菅原道真。祭礼日9月25日。「新編武蔵風土記稿」によれば、天神山に鎮守されていたものを寛永16年(1640)現在地に遷座したとあり、威徳院が別当職にあたった。明治33年に村社となる。通称:新川天神社(「三鷹市史」より)
北多摩神社誌による新川天神社の由緒
三鷹市新川宿分の鎮守社であり、縁起創立年月不詳であるが、往古は武蔵国多摩郡新川村字天神山に鎮座していたものと伝えられている。寛永年間現在地に移転、元禄年間修復を加えたと云われる。明治十四年九月、台風のため大破し、同十五年再建さいた。今なおその威徳を偲び、町民の信仰誠に厚いものがある。明治三十三年十一月村社に列せられ、昭和三十二年十月社殿改築を行った。(北多摩神社誌より)
新川天神社所蔵の文化財
- 石造庚申供養塔(三鷹市指定文化財)
石造庚申供養塔
庚申信仰は中国から伝わり、平安時代の貴族社会に行われた。その後庶民の間に伝わり、近世になると農村生活に庚申講が広まり、庚申供養塔が建てられた。
この塔は、初期の庚申塔らしく刻像は日月と三猿のみで簡素ながら美しい。(三鷹市教育委員会掲示より)
新川天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「三鷹市史」
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)