應神山長久寺|多摩八十八ヵ所霊場
長久寺の概要
新義真言宗寺院の長久寺は、應神山本智院と号します。長久寺は、祐長法印が慶長3年(1598)に開山したといいます。多摩八十八ヵ所霊場4番です。
山号 | 應神山 |
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院号 | 本智院 |
寺号 | 長久寺 |
宗派 | 新義真言宗 |
住所 | 三鷹市大沢2-2-16 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 長久寺学園幼稚園 |
長久寺の縁起
長久寺は、箕輪将監を開基として、祐長法印が慶長3年(1598)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による長久寺の縁起
(大澤村)(大沢八幡社)別当長久寺
社の東小名羽澤にあり、應神山本智院と號す、新義真言宗、開山祐長法印慶長三年の起立にて、其頃は甲州市川金剛院の末なりしに、正徳元年より京都醍醐釋迦院の末となり、今も然り。本堂五間半に八間南向、本尊大日の坐像二尺許なるをおけり。(新編武蔵風土記稿より)
「三鷹市史」による長久寺の縁起
長久寺 応神山本智院
天文年間(一五三二-一五五四)戦乱に大破していたのを慶長三年(一五九六)大沢の地に定住した箕輪将監を開基として長祐がひらいた寺である。元和三年(一六一七)下原にあった八幡宮を羽根沢の境内地に移して、村の鎮守として別当になった。明治末年の天文台建設のとき現在地に移った。(「三鷹市史」より)
長久寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「三鷹市史」