真福寺|碑文谷法華寺の日栄上人開山
真福寺の概要
日蓮宗寺院の真福寺は、高栄山と号します。真福寺は、碑文谷法華寺(現天台宗円融寺)の日栄上人(慶長6年1602年寂)が開山となり創建したといいます。
山号 | 高栄山 |
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院号 | - |
寺号 | 真福寺 |
宗派 | 日蓮宗 |
住所 | 三鷹市牟礼2-2-17 |
葬儀・墓地 | 真福寺別院 |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺は、碑文谷法華寺(現天台宗円融寺)の日栄上人(慶長6年1602年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(無礼村)真福寺
境内除地2段、小名宿にあり。日蓮宗、荏原郡池上本門寺の末、高栄山と称す。客殿8間に5間南向、本尊は三宝を安置す。開山日栄は慶長6年11月6日寂せり。
七面堂。客殿に向て右の方にあり。2間に3間半西に向ふ。岩上に立し木像にて長1尺3寸許り。(新編武蔵風土記稿より)
「三鷹市史」による真福寺の縁起
真福寺 高栄山 (牟礼1-2-17)
天正年代(一五七三-一五九一)牟礼村成立のころ、高橋綱種の末弟で目黒碑文谷の法華寺(日蓮宗、のちに天台宗円融寺となる)の僧であった日栄がひらいた。池上本門寺末で明治期には、お会式などはおおいに賑った。境内に百日咳・安産守護の釈宮宇治霊神(こうせんばあさん)があり、近隣の信仰が高かった。なお、高橋家開祖が陣中で用いたという法螺貝を寺宝としている。(「三鷹市史」より)
真福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「三鷹市史」