梅郷菅原神社|永禄4年に村民伊藤五郎祖伊藤将監、主計父子が勧請
梅郷菅原神社の概要
梅郷菅原神社は、青梅市梅郷にある神社です。梅郷菅原神社の創建年代等は不詳ながら、村民伊藤五郎祖伊藤将監、主計父子が勧請、永禄4年(1561)の創建と伝えられ、梅郷(下村)小名中村の鎮守だといいます。現在は近郷の諸社を境内に遷座、琴平神社の遥拝所も当地にあります。
社号 | 菅原神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 青梅市梅郷4-584 |
祭日 | 3月25日 |
備考 | - |
梅郷菅原神社の由緒
梅郷菅原神社の創建年代等は不詳ながら、村民伊藤五郎祖伊藤将監、主計父子が勧請、永禄4年(1561)の創建と伝えられ、梅郷(下村)小名中村の鎮守だといいます。現在は近郷の諸社を境内に遷座、琴平神社の遥拝所も当地にあります。
新編武蔵風土記稿による梅郷菅原神社の由緒
(下村)天神社
除地、六畝、小名天神入にあり、中村の鎮守なり、小社の上に覆屋を立つ、神體は木の坐像にて長八寸、作しれず、例祭正月廿五日、村内天澤院持、當社の四邊にそこばくの梅林ありて、花の比は頗る賞すべし(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による梅郷菅原神社の由緒
創立年代不詳。伝えに村民伊藤五郎祖伊藤将監、主計父子の勧請によるといわれる。(東京都神社名鑑より)
「西多摩郡村誌」による梅郷菅原神社の由緒
菅原神社
雑社。社地縱横十三間四尺、面積百八十七坪。元標ヨリ申ノ方、字天神五百八十三番、官有地イアリ。菅原道真公ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。元天満宮ト稱ス。維新ノ際社號改替ス。例祭四月二十五日。権訓導榊田茂輝兼勤奉仕ス。(「西多摩郡村誌」より)
境内掲示による梅郷菅原神社の由緒
永禄四年(西暦一五六一年)と推定される。(境内掲示より)
境内社八坂神社の由緒
鎮座:寛政十一年(西暦一七九九年)と推定される。
沿革:古くは下山八幡神社と琴平神社を結ぶ山道の中央にある天王山に鎮座していたものを、現在地に移した神社です。
京都祇園の八坂神社が、厄除けの神として崇敬されていいることから、当地に疫病が発生した際、病魔退散を願って勧請されたと伝えられています。
当社は、厄除けの神として毎年七月十五日を大祭日としていました。当日は、村境の道の両側に若竹を二本立て、〆縄を張って、他所より疫病、病魔の入ることを防ぎ、この土地で収穫した胡瓜やトマトの新鮮な野菜をかじりながら、御神酒をいただいたものです。
現在は、昭和五十二年春の吉日から、当社と菅原神社および琴平神社三社の合同大祭を行なっております。(境内掲示より)
境内社琴平神社(元金毘羅大権現)遥拝所の由緒
祭神:大国主命・崇徳天皇
鎮座:不詳
沿革:本社は梅郷を一望し、常に氏子を見守ることのできる巌山の頂上(遥拝所の真向い、直線で約三〇〇メートル)に鎮座しており、古くは「金毘羅大権現」と呼ばれていました。明治以降は、「琴平神社」と呼ぶようになりました。
当地は、戦前まで養蚕が盛んで繭の生産が氏子の生活の支えであり、産業の中心でありました。殖産豊産の産土神として崇敬されていた当社には、繭の豊作を祈願する人が多く、繭の当たり年には、お礼に猫の焼き物が奉納されたものでした。
(猫は、天敵であるネズミから繭を守ったものと伝えられております。)
現在も、商売繁盛を祈願する人が多くみうけられます。日々ご繁栄ありますようお参りいたしましょう。(境内掲示より)
梅郷菅原神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 西多摩郡村誌