常磐樹神社|報恩寺境内に神社と常楽院境内にあった若宮八幡宮を合社して成立
常磐樹神社の概要
常磐樹神社は、青梅市今寺にある神社です。常磐樹神社は、報恩寺境内にあった熊野権現、山王権現、稲荷大明神、天満天神と、常楽院境内にあった若宮八幡宮とを、明治2年当地に合社、植竹神社と称したといいます。明治3年、境内に樫の老木のあることによって、社名を常盤樹神社と改称、明治6年村社に列格したといいます。
社号 | 常磐樹神社 |
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祭神 | 伊弉那美命、速玉之男命、事解之男命、熊野樟日命、大鷦鷯尊、猿田彦命、宇賀之御魂命、大宮比売命、大山咋命、菅原道真公、天照皇大神、建速須佐之男命 |
相殿 | - |
境外社 | - |
住所 | 青梅市今寺1-530 |
祭日 | 4月15日 |
備考 | - |
常磐樹神社の由緒
常磐樹神社は、報恩寺境内にあった熊野権現、山王権現、稲荷大明神、天満天神と、常楽院境内にあった若宮八幡宮とを、明治2年当地に合社、植竹神社と称したといいます。明治3年、境内に樫の老木のあることによって、社名を常盤樹神社と改称、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による常磐樹神社の由緒
(今寺村)
報恩寺
村の中程にあり、天台宗、當郡府中領深大寺の末、藤橋山と稱す、本堂八間に六間半南向、本尊彌陀立身の木像三尺餘、御朱印十石の寺領を附せられ、村の内に今も華厳院と云て三町程の地、泉蔵院跡とて二町程の地有り、皆當寺境内つづきにして、昔は共に門中なりしよし、いつの頃か廢せしことをしらず、其地所は今になを此寺の持なり、又延命寺と云もありしよし、是もいつの比か廢院となりて、今境内に其跡あるのみ。
地蔵堂。三間半四方、境内にあり、延命地蔵を安す、木像長二尺餘立身、傍に六地蔵を刻す、立身の木像にて各長八寸。
山王社。小社境内にあり、後も同じ。
神明社。稲荷社。境内にあり、共に小社。
常楽院
境内一町三畝餘、見捨地、報恩寺より西の方にあり、天台宗、村内報恩寺門徒、四王山と號す、本堂六間に四間、本尊薬師木の坐像にて長一尺餘。
八幡社。本堂の後背にあり、小社。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による常磐樹神社の由緒
創立年代不詳。もと熊野権現、若宮八幡宮、山王権現、稲荷大明神、天満天神の五社で、四社は報恩寺境内に、若宮八幡は常楽院境内にあった。明治二年十月合併、現在地に移し、植竹神社と称したが、同三年現社名に改称。またこの地に神木と称して、周一丈二尺余の樫の老樹あるによって社名となした。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による常磐樹神社の由緒
常磐樹神社
今寺(現・今寺一丁目)に鎮座する。祭神は伊弉那美命、速玉之男命、事解之男命、熊野樟日命、大鷦鷯尊、猿田彦命、字賀之御魂命、大宮此売命、大山咋命、菅原道真公、天照皇大神、建速須佐之男命で、例祭は四月一日である。創建年代は不明。はじめは熊野権現、若宮八幡宮、山王権現、稲荷大明神、天満天神と称し、四社は報恩寺境内にあり、あとの一社若宮八幡宮は常楽院境内にあったが、明治二年十月現在地に合社し、植竹神社と称した。同三年、境内に樫の老木のあることによって、社名を常盤樹神社と改称した。明治六年、村社に列格した。境内面積は三七七坪(一、二四四平方メートル)である。(「青梅市史」より)
常磐樹神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史