赤仁田愛宕神社|青梅市成木の神社

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赤仁田愛宕神社|慈雲院に祀られていた社

赤仁田愛宕神社の概要

赤仁田愛宕神社は、青梅市成木にある神社です。赤仁田愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、雲長(天正元年1573年寂)が開山した慈雲院の境内に祀られていたといいます。慈雲院は、江戸幕府より寺領2石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領していましたが、明治維新後廃寺となり、当社も愛宕大権現から愛宕神社へ改称しています。

赤仁田愛宕神社
赤仁田愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 火産霊神
相殿 -
境外社 -
住所 青梅市成木8-323
祭日 -
備考 -



赤仁田愛宕神社の由緒

赤仁田愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、雲長(天正元年1573年寂)が開山した慈雲院の境内に祀られていたといいます。慈雲院は、江戸幕府より寺領2石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領していましたが、明治維新後廃寺となり、当社も愛宕大権現から愛宕神社へ改称しています。

新編武蔵風土記稿による赤仁田愛宕神社の由緒

(北小曾木村)
慈雲院
境内凡十二間四方、小名赤新田にあり、禅宗曹洞宗、郡内根ヶ布村天寧寺の末山なり、平岩山と號す、寺領二石をたまへり、御朱印には當村を高麗郡としるせり、客殿三間半に五間、西に向ふ、本尊将軍地蔵八九寸許の木像を安す、開山雲長といふ、天正元年示寂せり。(新編武蔵風土記稿より)

「東京都神社名鑑」による赤仁田愛宕神社の由緒

愛宕神社
江戸時代は、愛宕大権現といった。慶安二年(一六四九)将軍家光から、二石の社領を与えられた。当時は慈雲院の持で、社地が栗平に山畑六反歩あり、氏子中が順番で年ごとに、小作地をきめて耕作する風習があり、この山畑を「御朱印」と称した。三代将軍より付与されたためであろう。その後、朱印畑は農地法により、氏子の分割所有地となった。(「東京都神社名鑑」より)

「西多摩郡村誌」による赤仁田愛宕神社の由緒

愛宕社
雑社。社地縦十間、横十間、面積百坪。元標ヨリ(方位記載なし)字日影赤仁田官有地ニアリ。火之迦具土命ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。元愛宕大権現ト稱ス。慶安二年十一月十七日、徳川氏社領二石ヲ附與シ、平岩山慈雲院之カ別當タリ。維新ノ際、神佛混淆禁止ノ令アリシヨリ官ニ乞テ社號ヲ改替シ近村ノ神官ニ依頼シ奉幣ス。社地ハ朶山ノ中腹ニシテ、例祭ハ一月廿四日ナリ。
社殿 石禿倉ニシ、五寸ニ七寸。幣帛ヲ以テ神體トス。(「西多摩郡村誌」より)


赤仁田愛宕神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「東京都神社名鑑」
  • 西多摩郡村誌