西分神社|宗徳寺の守護神として創建した妙見社
西分神社の概要
西分神社は、青梅市西分町にある神社です。西分神社は、宗徳寺開山一庵光淋が寺門の守護神として妙見社と称して創建、江戸期には社領3石の御朱印状を拝領、西分村の鎮守社だったといい、明治初年に村社に列格したといいます。
社号 | 西分神社 |
---|---|
祭神 | 天御中主神 |
相殿 | - |
境内社 | 三社神社、熊野神社、御嶽神社、愛宕神社、石神社(境外) |
住所 | 青梅市西分町2-34 |
祭日 | 11月3日 |
備考 | - |
西分神社の由緒
西分神社は、宗徳寺開山一庵光淋が寺門の守護神として妙見社と称して創建、江戸期には社領3石の御朱印状を拝領、西分村の鎮守社だったといい、明治初年に村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による西分神社の由緒
(西分村)妙見社
村の西にあり、御朱印三石、鎮座の年歴を傳へず、村内の鎮守なり、本社二尺五寸南向、上屋一間半、神體竹六寸、厨子にをさめたり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による西分神社の由緒
室町時代初期の創建といわれ、社伝に宗徳寺開山一庵光淋が、寺門守護村として祀ったとされ、古く妙見社と称し、本尊の妙見像は現在宗徳寺に保存。西分の鎮守である。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による西分神社の由緒
西分神社
西分に鎮座する。祭神は天御中主神を祀り、例祭は十一月三日である。創建は室町時代の初期といわれ、社伝によると宗徳寺開山一庵光淋が寺門の守護神として祀ったといわれる。古くは妙見社と称し、本尊の妙見像は現在宗徳寺にある。明治初年に村社に列格した。境内面積は七二〇坪(二、三七六平方メートル) である。(「青梅市史」より)
西分神社所蔵の文化財
- 井上頼圀等歌碑
井上頼圀等歌碑
神がきのはなより花にしめはへて かすみも風をまもる春かな 豊穎
かみがきにいくとせかけてちぎるけむ はるのたむけのはなのしらゆふ 直助
咲花のゆふしでかくるしめのうちに 心もはるもこもりけるかな 頼圀
本居豊穎は紀州和歌山の生れ、本居宣長の曾孫、幕末から明治時代の国文学者、歌人
権田直助は武州入間郡毛呂本郷(現埼玉県入間郡毛呂山町)の生れ、幕末から明治時代前期の国学者、神道家、医者
井上頼圀は江戸神田の生れ、幕末から明治時代の国学者
建碑は明治十三年である。(青梅市教育委員会掲示より)
西分神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史