小曽木八坂神社|青梅市小曽木の神社

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小曽木八坂神社|小曾木字荒田が開拓されたころに創祀

小曽木八坂神社の概要

小曽木八坂神社は、青梅市小曽木にある神社です。小曽木八坂神社の創建年代等は不詳ながら、小曾木字荒田が開拓されたころに創祀されたのではないかといい、山頂を天王塚と呼んで日と月とを刻んだ板碑・牛頭天王宮と刻んだ自然石を建て信仰したといいます。江戸期に社殿を造営、明治5年社号を牛頭天王社から八雲神社と、明治10年八坂神社と改めたといいます。

小曽木八坂神社
小曽木八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 須佐之男命
相殿 -
境内社 日吉神社、八雲神社
住所 青梅市小曽木3-1629-2
祭日 7月15日
備考 -



小曽木八坂神社の由緒

小曽木八坂神社の創建年代等は不詳ながら、小曾木字荒田が開拓されたころに創祀されたのではないかといい、山頂を天王塚と呼んで日と月とを刻んだ板碑・牛頭天王宮と刻んだ自然石を建て信仰したといいます。江戸期に社殿を造営、明治5年社号を牛頭天王社から八雲神社と、明治10年八坂神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による小曽木八坂神社の由緒

(小曾木村)
該当なし(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による小曽木八坂神社の由緒

その起源は古く、荒田の里に水田が開拓されたころにはじまる。つまり、三つの谷頭が合致する頂点を適地と定めて、鎮座したのもそのためである。当初はここを「天王山」または「天王塚」と呼び、頂に日と月とを刻んだ板碑を建立し、清地とした。その後、江戸時代に至り、社殿を造営、牛頭天王宮と呼んだ。寛文二年(一六六二)振鈴が奉納され、享和元年(一八〇一)本殿を改修、天保一一年(一八四〇)に神輿調整、嘉永五年(一八五二)に幟を再整、慶応三年(一八六七)鳥居の再建などの事業を経て、明治維新となった。明治五年社名を八雲神社と改め、同七年手水盤が奉納され、同十年に八坂神社と改称し、昭和十五年皇紀二千六百年を記念して、本殿、日吉神社を新改築、石造鳥居、石碑を建立、石段を整備した。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による小曽木八坂神社の由緒

八坂神社
荒田(現・小曾木三丁目)に鎮座する。祭神は須佐之男命を祀る。例祭は七月十五日である。創建は不詳であるが、古い時代、天王塚と称する山頂に日と月を刻んだ板碑と、牛頭天王宮と刻んだ自然石を建て信仰したと伝え両石とも現存する。寛文二年(一六六二)振鈴が奉納され、享和元年(一八〇五)本殿を改修、慶応三年(一八六七)鳥居を再建、明治五年、社名を八雲神社と改め、同七年、手水盤を奉納、同十年、八坂神社と社名を改称し、同年、村社に列格した。昭和四十五年、日原丘陵開発計画にともない、同五十年七月現在地に社殿を移した。社宝として木彫の牛頭天王像がある。境内面積は九八五坪(三、二五一平方㍍)である。(「青梅市史」より)


「西多摩郡村誌」による小曽木八坂神社の由緒

八坂神社
雑社。社地縦横未定。秣場反別二反歩ノ内ニアリ。元標ヨリ(記述なし)方、字日原一千五百七十四番ノ官有地ニアり。速須佐之男命ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。元牛頭天王ト稱シ、村内福昌寺カ別当タリ。明治維新ノ際社改替ス。別當ヲ廢シ神官ヲ以テ之ヲ奉仕ス。該社ハ從前闔郷ノ産土神ト稱シ村民厚ク之ヲ尊崇ス。傳ル所ノ社記、古文書、慶長十七壬子年冬、元別當福昌寺炎上ノ際焼失シ、詳ニスルコト克ワズ。社地は壹推ノ深林ニテ、往古ヨリ之ヲ天王山ト稱シ、或ハ天王塚トモ稱ス。神地ニ壹株ノ雄松ノ老樹アリ。圍一丈二尺餘リ。龍隣重疊シ盤根凹凸トシテ枝葉蓊葱ト繁茂シ、垂レテ地上ニ及ントス。村民之ヲ一本松ト稱ス。マタ、二株ノ櫻樹アリ。共ニ一株二幹ニシテ圍ミ三尺餘リ。花時ハ最明媚艶麗ナル故ニ里人之ヲ朝日ノ櫻ト稱ス。マタ一株三幹連理ノ槻アリ。圍ミ六尺有餘ナリ。里人之ヲ女夫槻ト稱シ、村民に配偶ノ縁遠キモノ之ニ祈ルニ必應アリト云ヘリ。
社殿。壹間三尺ニ三尺二寸ナリ。
覆舎。方二間。杉皮葺、西向ナリ。
鳥居。壹基。高サ一丈五尺、開キ七尺。慶應二丁未年三月再建スル所ナリ。
手洗鉢。長三尺五寸、幅二尺。高サ二尺。明治七甲戌年ノ新献ナリ。表巴ノ紋ニ奉献ト刻、左右ノ兩面ニ萬田松五郎同儀兵衛川越鴫町小島金兵衛明治七年甲戌六月吉旦、トアリ。(「西多摩郡村誌」より)

小曽木八坂神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史