摩尼珠山福昌寺|奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
福昌寺の概要
真言宗系単立寺院の福昌寺は、摩尼珠山金剛院と号します。福昌寺の創建年代等は不詳ながら、宗満上人が開基したといいます。慶安2年(1648)に徳川家光より地蔵堂領として四石五斗の御朱印状を拝領、賢清僧都(貞享4年1687年寂)が再興したといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所18番です。
山号 | 摩尼珠山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | 福昌寺 |
住所 | 青梅市小曽木3-1866 |
宗派 | 真言宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福昌寺の縁起
福昌寺の創建年代等は不詳ながら、宗満上人が開基したといいます。慶安2年(1648)に徳川家光より地蔵堂領として四石五斗の御朱印状を拝領、賢清僧都(貞享4年1687年寂)が再興したといいます。
新編武蔵風土記稿による福昌寺の縁起
(南小曾木村)福昌寺
御朱印四石五斗、境内千三百坪、小名小布市にあり、新義眞言宗、同郡下成木村安楽寺の末山なり、摩尼珠山と號す、本堂八間に三間南に向、本尊大日木の坐像にて長一尺五寸なるを安ず、開山詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による福昌寺の縁起
福昌寺(摩尼珠山金剛院)
小曽木・荒田(現・小曽木三丁目)にあり、本尊は大日如来である。慶安二年、地蔵堂領四石五斗の朱印状が寄せられた。なお本寺の朱印状は写しでなく本書で、慶安二年から幕末までのものすべてが保存されている。開基は宗満上人と伝えるが、年代は未詳である。慶安(一六四八~五一)のころ賢清僧都によって再興された。賢清はその後、成木・財泉坊に住し、貞享四年(一六八七)示寂した。境内に地蔵堂があり、宝暦年間(一七五一~六三)の再建といい、弘法自作と伝える地蔵菩薩が安置されている。なお、昭和五十九年に山門が、平成四年に本堂・庫裡の大改修が行われた。(「青梅市史」より)
福昌寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」