友田御嶽神社|寛正年間三田氏が再建
友田御嶽神社の概要
友田御嶽神社は、青梅市友田町にある神社です。友田御嶽神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて武蔵御嶽神社の供田があったことから、武蔵御嶽神社の分霊を勧請して創建したと伝えられ、金峯山蔵王権現と称していたといいます。寛正年間(1460-1465)三田氏が再建、明治4年御嶽神社と改称、明治6年村社に列格、明治43年愛宕神社を合祀したといいます。
社号 | 御嶽神社 |
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祭神 | 広国押武金日命、日本武尊、軻遇突知神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 青梅市友田町5-565 |
祭日 | 9月29日 |
備考 | - |
友田御嶽神社の由緒
友田御嶽神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて武蔵御嶽神社の供田があったことから、武蔵御嶽神社の分霊を勧請して創建したと伝えられ、金峯山蔵王権現と称していたといいます。寛正年間(1460-1465)三田氏が再建、明治4年御嶽神社と改称、明治6年村社に列格、明治43年愛宕神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による友田御嶽神社の由緒
(友田村)蔵王権現社
社地四十坪許、村の中央にあり、小社にて上屋あり、二間に三間、北向なり、神體は木の立像にて、右の手に三鈷を持てり、長一尺二寸、例祭年々九月廿九日、獅子舞あり、社地諸木繁茂し、中にも神木と稱する老松あり、其翰二圍許り、村内華蔵院の持なり、この社も寛正の鰐口あるを以てみれば、古社なることしるべし、今鰐口は華蔵院の所蔵なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による友田御嶽神社の由緒
創建年代不詳。もと金峯山権現と称した。むかし、郡中府社御岳神社の供田であったという。同社を勧請して鎮守とした。のち寛正年間(一四六〇-六六)三田氏が再造。寛永年間(一六二四-四四)および寛政年間(一七八九-一八〇一)村民が再造営。別当は新義真言宗華蔵院。維新のさい御嶽神社と改称。明治四十三年二月四日愛宕神社を合祀す。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による友田御嶽神社の由緒
友田(現・友田町五丁目)に鎮座する。祭神は広国押武金目命、日本武尊、軻遇突知神を祀る。例祭は九月二十九日である。創建年代は不詳。初めは金峯山蔵王権現と称した。寛正年間(一四六〇~一四六五)三田氏が再建、寛永年間(一六二四~一六四三) に改修、さらに寛政年間(一七八九~一八〇〇)に村民が造営する。明治四年に社名を御嶽神社と改称、同六年に村社に列格する。同四十三年、愛宕神社を合祀。昭和五十三年九月、現在の社殿(鉄筋コンクリート造)を完成する。寛正四年(一望ハ三)在銘の鰐口は市指定の有形文化財また獅子舞は無形民俗文化財である。境内面積は六〇四・五坪(一、九九五平方㍍)である。(「青梅市史」より)
青梅市教育委員会掲示による友田御嶽神社の由緒
祭神は広国押武金日命、日本武尊、軻遇突知神の三柱で、例祭は九月二十九日である。当地には武蔵御嶽神社の供田があり、また、その分霊を移して御嶽山蔵王権現を祀ったのが起源と口伝され、武蔵御嶽神社との関連を示す由緒ある史跡の一つである。
社宝の寛正四年(一四六三)在銘の鰐口は市有形文化財に、また、祭日に奉納される獅子舞は市無形民俗文化財に指定されている。(青梅市教育委員会掲示より)
友田御嶽神社所蔵の文化財
- 寛正四年(一四六三)在銘の鰐口(市指定有形文化財)
- 獅子舞(市指定無形民俗文化財)
友田御嶽神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「青梅市史」