友田山花蔵院|多摩八十八ヶ所霊場、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
花蔵院の概要
真言宗豊山派寺院の花蔵院は、友田山と号します。花蔵院は、賢海が文明七年(1475)に観音堂として創建、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場52番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所8番です。
山号 | 友田山 |
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院号 | 花蔵院 |
寺号 | - |
住所 | 青梅市友田町4-204 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
花蔵院の縁起
花蔵院は、賢海が文明七年(1475)に観音堂として創建、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による花蔵院の縁起
(友田村)観音堂
村の中央にあり、九間に七間、本尊は十一面観音木の立身、長八寸、脇士不動・毘沙門共に木の立像にて、長四寸許、それの年御朱印を附せられ、観音免五石の地を御寄附ありしと云。
別當華蔵院
友田山と號す、新義真言宗、入間郡鹽船寺末、開山詳ならず、中興の僧宥賢元禄十五年四月十一日寂す。
寺寶。鰐口一口。村内蔵王権現に掛たるものなりと云、その圖右のごとし。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による花蔵院の縁起
花蔵院 (友田山)
友田(現・友田四丁目)にあり、本尊は十一面観音である。文明七年(一四七五)賢海開創の観音堂にはじまる。慶安二年、観音堂領五石の朱印状が寄せられ、その後、友田御嶽神社の別当・光岸寺を合寺し友田山となった。中興は宥賢といい、元禄十五年(一七〇二)示寂、元文年間(一七三六~四〇)降覚により塩船寺末となり華蔵院と改称した。昭和大改築の本堂の前の高野槙は開創当時のものという。寺宝の寛正四年(一四六三)平憲清奉納の鰐口は、もと友田御嶽神社にかけてあったもので、市指定の有形文化財である。(「青梅市史」より)
花蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」