石灰石採掘場。青梅市成木にある名所旧跡

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石灰石採掘場。当地名産品の石灰

石灰石採掘場の概要

石灰石採掘場は、青梅市成木にある名所旧跡です。石灰石採掘場は、天正18年(1590)に八王子城が落城した後、北條氏照の家臣だった佐藤助十郎・木崎平次郎・川口彌太郎等が小曽木・成木に定住、石灰を焼く業を確立したといいます。江戸城普請のために、大量の石灰を必要とした江戸幕府は、小曽木村・成木村へ命じて上納したことがきっかけで、以後当地の産物となったといいます。

石灰石採掘場
石灰石採掘場の概要
名称 石灰石採掘場
見どころ 市指定史跡
入場時間 -
入場料 無料
住所 青梅市成木8-686
備考 私有地



石灰石採掘場の由来

石灰石採掘場は、天正18年(1590)に八王子城が落城した後、北條氏照の家臣だった佐藤助十郎・木崎平次郎・川口彌太郎等が小曽木・成木に定住、石灰を焼く業を確立したといいます。江戸城普請のために、大量の石灰を必要とした江戸幕府は、小曽木村・成木村へ命じて上納したことがきっかけで、以後当地の産物となったといいます。

青梅市教育委員会掲示による石灰石採掘場について

市指定史跡
石灰石採掘跡
この地区での石灰焼の歴史は古く、天正年間にさかのぼることが知られている。
慶長十一年(一六〇六)、北小曽木村、上成木村(現・成木三~八丁目)の窯主は、幕府の命により、江戸城普請のため、白壁材などの建築資材として石灰を上納した。
以来、石灰焼は郷土の重要な産業となり、近世史上特異な存在として知られている。
正面の山の斜面にみえる石灰岩は、原石採掘地の中でも、特に顕著な露顕を示すものである。(青梅市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による石灰石採掘場について

(上成木村)
土産
石灰
此村よりも出せり、昔北條氏照が家臣佐藤助十郎・木崎平次郎・川口彌太郎などいへる人の親共、天正十八年八王子落城のをりから討死せしに、其子孫こゝに住し、初てかの石灰をやく業をなせしよし、佐藤は北小曾木村に住せしゆへ、其村の條にも出せり、木崎川口が子孫は當村の里正なりと云、
(北小曾木村)
産物
石灰
この村より多く出せり、夫を製する竈五ヶ所にあり、いはゆる坂下瀧の入澤・漆澤・正澤・入口・橋場等なり、相傳ふ天正の頃當郡八王子の城主北條陸奥守氏照敗軍の後、彼家臣某等此山に引籠り、始て石灰を製し、慶長年中江戸御城御造營の時、此村の百姓等この御用をつとめし功により、今にそのことをうけたまはれば、村の役に丁られすと云、北條氏の臣と云は佐藤助十郎がことならんか、猶後にいたせり、
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墳墓
佐藤塚
松木峠の麓にて往還の傍にあり、天正年中北條氏照が家臣佐藤助十郎と云もの此地へ来り住し、上成木にすめる木崎某川口某等三人とはかりて、始て石灰を製せしよし、この家も今はたえてなし、(新編武蔵風土記稿より)


石灰石採掘場の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿