日向山明白院|三田氏の遺臣野口刑部丞秀房開基、青梅七福神の福禄寿
明白院の概要
曹洞宗寺院の明白院は、日向山と号します。明白院は、三田氏の遺臣野口刑部丞秀房(松月良永、寛永6年1629年寂)が開基となり、海禅寺七世天江東岳が天正年間(1573-1591)に開山したといいます。青梅七福神の福禄寿です。
山号 | 日向山 |
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院号 | 明白院 |
寺号 | - |
住所 | 青梅市日向和田2-395 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
明白院の縁起
明白院は、三田氏の遺臣野口刑部丞秀房(松月良永、寛永6年1629年寂)が開基となり、海禅寺七世天江東岳が天正年間(1573-1591)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による明白院の縁起
(日向和田村)明白院
除地二畝十一歩、三嶋社のならびて少しく西へよりてあり、日向山と號す、禅宗曹洞派、二股尾海禅寺末、本堂五間に七井仇半、本尊将軍地蔵長三尺五寸の木立像を安す、開山(海禅寺第七世)天江東岳と云、慶長十八年八月廿七日示寂す、開基は松月良永と云、村民彌四郎先祖野口刑部丞がことなり、寛永六年二月十二日寂す、なを下舊家の條に出せり。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による明白院の縁起
明白院 (めいばくいん・日向山)
日向和田(現・日向和田二丁目)にあり、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(一五七三〜九一)天江東岳(海禅寺七世)を開山とし、三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として開創された。延享元年(一七四四)堂字が再建され、大正年間に増改築され、併せて境内の整備が行われた。山門(市有形文化財)は楯の城跡にあった宇太夫屋敷の表門を移築したと伝えるもので、田辺清右衛門ゆかりの古構を伝えているようである。門前のしだれ梅と七福神諸での福禄寿は市民に親しまれている。(「青梅市史」より)
明白院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」