七国山薬王寺|法相宗の僧良誓が聖徳太子作薬師像を本尊として創建
薬王寺の概要
真言宗豊山派寺院の薬王寺は、七国山と号します。薬王寺は、法相宗の僧良誓(暦応2年1339年寂)が聖徳太子作と伝える薬師像を本尊として創建、慶安2年(1649)には徳川家光より薬師堂領として十石の御朱印状を拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場43番です。
山号 | 七国山 |
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院号 | - |
寺号 | 薬王寺 |
住所 | 青梅市今井1-2520 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
薬王寺の縁起
薬王寺は、法相宗の僧良誓(暦応2年1339年寂)が聖徳太子作と伝える薬師像を本尊として創建、慶安2年(1649)には徳川家光より薬師堂領として十石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による薬王寺の縁起
(今井村)薬王寺
境内御朱印地のうち、東西凡三十間、南北十五間許、北の方の山丘、小名鍛冶屋と云所にあり、眞言新義、當郡鹽船村鹽船寺の末、醫王山と號す、薬師堂領十石の御朱印を附せらる、當村は正保の比の絵圖にも、已に當郡に入たれど、この寺に賜はりし慶長。貞享の御朱印には入間郡とあり、郡界接近の村にはまま此類あり、本尊薬師木の坐像、弘法の作といふ、秘して開扉をゆるさず、併せて十二神の木像あり、各長一尺二寸許、立身運慶の作なり、開山開基詳ならず、本堂は八間に六間南向なり。
楼門。二間四方、近来鑄像せし鐘をかけり。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による薬王寺の縁起
薬王寺(医王山)
今井(現・今井一丁目)にあり、本尊は薬師如来である。往昔、法相宗の僧良誓が奈良から聖徳太子作と伝える薬師像を将来し、一堂を建立したのにはじまるという。良誓は暦応二年(一三三九)十一月示寂と伝える。また足利尊氏開基の説もあり、慶安二年(一六四九)薬師堂領十石の朱印状を寄せられた。天明年間(一七八一〜八八)聚海法印によって中興され、本堂もその折再建、この時から塩船寺末となった。
明治四年(一八七一)廃仏毀釈の際、百余戸の壇徒がわずか七戸となり、寺の存立も危うくなったが、復旧の努力が続けられ大正十五年大改築がなされた。山門は鐘楼門で、寛政六年(一七九四)青梅・裏宿島村照思(恩)鋳造の銅鐘がかけられ、市有形文化財に指定され、寺域も市史跡になっている。寺の尾根続きに妙好人・弥兵衛の松がある。(「青梅市史」より)
薬王寺所蔵の文化財
- 銅鐘(青梅市指定文化財)
- 薬王寺境域(青梅市指定文化財)
銅鐘(青梅市指定文化財)
薬王寺の銅鐘は、寛政六年(一七九四)当時の住持秀剛和尚の発顔と勧善坊の助願により、多くの檀信徒の浄財を得て造られたもので、青梅裏宿(現・青梅市青梅八九〇番地付近)に住んでいた鋳物師島村照思の鋳造によるものである、
この鐘は市内の鋳物師が製作した唯一のものとして貴重であり、また、鐘銘が古にして格調の高い秀剛和尚の書であり、陽鋳であることも特色である。(青梅市教育委員会掲示より)
薬王寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」