西光山塩船寺|近郷に末寺7ヶ寺、門徒寺5ヶ寺を擁していた寺院
塩船寺の概要
真言宗豊山派寺院の塩船寺は、西光山無量寿院と号します。塩船寺は、意深僧正(弘長3年1263年寂)が開山したと伝えられ、塩船観音寺十二坊の一つとして、円林坊と称していたといいます。天正年間(1573-1591)青梅金剛寺八世良深が住持となって独立、無量寿院塩船寺と改めたといい、慶安2年(1649)には寺領5石御朱印状を拝領、近郷に末寺7ヶ寺、門徒寺5ヶ寺を擁していたといいます。
山号 | 西光山 |
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院号 | 無量寿院 |
寺号 | 塩船寺 |
住所 | 青梅市塩船120 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
塩船寺の縁起
塩船寺は、意深僧正(弘長3年1263年寂)が開山したと伝えられ、塩船観音寺十二坊の一つとして、円林坊と称していたといいます。天正年間(1573-1591)青梅金剛寺八世良深が住持となって独立、無量寿院塩船寺と改めたといい、慶安2年(1649)には寺領5石御朱印状を拝領、近郷に末寺7ヶ寺、門徒寺5ヶ寺を擁していたといいます。
新編武蔵風土記稿による塩船寺の縁起
(鹽船村)鹽船寺
村の東にあり、西光山と號す、新義真言宗、京醍醐報恩院末、寺領五石の御朱印を附せらる、御朱印には入間郡鹽船寺とあり、村内観音堂仁王門の棟札には圓船とあり、恐くは誤れるならん、古は鹽林坊と稱せしが、後今の寺號に改む、本堂九間半に六間半南向、本尊不動立身の木像、作知れず、開山憲深僧正弘長三年九月六日遷化、當院は末寺と稱するもの七箇寺、門徒と唱ふるもの五箇寺あり。
門。本堂の正面にあり。
三寶荒神。小社境内の鎮守、本堂より西にあり。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による塩船寺の縁起
塩船寺(西光山無量寿院)
塩船にあり、本尊は不動明王である。開山は意深僧正と伝え、弘長三年(一二六三)九月六日示寂という。はじめは観音寺十二坊の一つで、円林坊と称したが、天正年間(一五七三~九一)青梅金剛寺八世良深が住持となって独立、無量寿院塩船寺と号した。慶安二年(一六四九)寺領五石の朱印状を付せられた。江戸時代、京都・醍醐寺報恩院末となって栄え、天明・文化のころ聚海および後の成木・安楽寺二十一世晋海により門末の寺院を増し、文政年間には十二の末寺を持つに至った。現在本堂、書院、庫裡、山門と総門を有し、相当に古い仏画数点を伝えている。(「青梅市史」より)
塩船寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」