願王山蜆澤院|明治維新後慈雲院・龍谷院・保福院を合寺
蜆澤院の概要
曹洞宗寺院の蜆澤院は、願王山と号します。蜆澤院は、天寧寺十世了寶芸達が開山となり、慶長・元和年間(1596-1623)に創建したといいます。明治維新に際して、村内の天寧寺末慈雲院・龍谷院・保福院を合寺したといいます。
山号 | 願王山 |
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院号 | 蜆澤院 |
寺号 | - |
住所 | 青梅市成木8-132 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蜆澤院の縁起
蜆澤院は、天寧寺十世了寶芸達が開山となり、慶長・元和年間(1596-1623)に創建したといいます。明治維新に際して、村内の天寧寺末慈雲院・龍谷院・保福院を合寺したといいます。
新編武蔵風土記稿による蜆澤院の縁起
(北小曾木村)
慈雲院
境内凡十二間四方、小名赤新田にあり、禅宗曹洞宗、郡内根ヶ布村天寧寺の末山なり、平岩山と號す、寺領二石をたまへり、御朱印には當村を高麗郡としるせり、客殿三間半に五間、西に向ふ、本尊将軍地蔵八九寸許の木像を安す、開山雲長といふ、天正元年示寂せり。
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龍谷院
境内年貢地、凡十四間四方、小名立谷にあり、是も天寧寺の末、馬頭山と号す、客殿四間に六間、南向にして、本尊馬頭観音、木の坐像にて長一尺ばかり、開山の名傳へず。
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保福院
境内年貢地、十間四方、小名岩井にあり、同寺の末(禅宗曹洞宗、郡内根ヶ布村天寧寺の末)、岩井山と號す、客殿五間に三間、南に向ふ、本尊釋迦木の坐像にて長一尺、開山原寮、寛永二年寂す。
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蜆澤院
境内年貢地、十間四方、字蜆澤にあり、是も同寺の末山(禅宗曹洞宗、郡内根ヶ布村天寧寺の末)なり、願王山と稱す、客殿五間半に九間半、南向にして、本尊将軍地蔵を安す、開山は了寶と云ふ、寛永二年示寂せり。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による蜆澤院の縁起
蜆沢院(けんたくいん・願王山)
北小曾木(現・成木八丁目)蜆沢にあり、本尊は将軍地蔵である。開山は天寧寺十世了寶芸達であり、閲創は慶長・元和のころ(一五九六~一六二三)と伝えられる。明治初年・近在の天寧寺末の竜谷寺、保福院、慈雲院を合寺したものである。昭和二十四年、大改築がなされた。(「青梅市史」より)
蜆澤院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」