富岡山常秀院|久下右衛門佐常秀の菩提を弔うため創建
常秀院の概要
曹洞宗寺院の常秀院は、富岡山と号します。常秀院は、国府台の合戦で永禄年間(1558-1569)に討死した久下右衛門佐常秀の菩提を弔うため、元和2年(1616)岩田・久下の両氏が常秀の旧館を改築して寺院とし、天寧寺十世了窒芸達を開山に迎えたといいます。
山号 | 富岡山 |
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院号 | 常秀院 |
寺号 | - |
住所 | 青梅市富岡1-132 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常秀院の縁起
常秀院は、国府台の合戦で永禄年間(1558-1569)に討死した久下右衛門佐常秀の菩提を弔うため、元和2年(1616)岩田・久下の両氏が常秀の旧館を改築して寺院とし、天寧寺十世了窒芸達を開山に迎えたといいます。
新編武蔵風土記稿による常秀院の縁起
(富岡村)常秀院
除地算段九畝六歩、村の東寄にあり、禅宗曹洞派、同郡根ヶ布村天寧寺の末山なり、富岡山と號す、本堂五間半に八間東向、本尊地蔵木の坐像長一尺なるを安す、開山は本山の十世了室、寛永二年六月六日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による常秀院の縁起
常秀院(万貴山)
富岡(現・富岡一丁目)にあり、本尊は地蔵菩薩である。元和二年(一六一六)三月、岩田、久下の両氏が久下右衛門佐常秀菩提のため協力し常秀の旧館を寺院とし、その名をもって寺号として前記了窒芸達を開山としたと伝える。常秀は久下直光の末孫で北条氏康に仕え、永禄年間(一五五八~六九)鴻台(千葉県)の合戦で討死したと伝えられる。その後、現在地に移ったといわれ、本堂、庫裸は移転の際の再建と考えられる。平成三年に再び本堂・庫裡を改修した。(「青梅市史」より)
常秀院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」