砂川阿豆佐味天神社|砂川開拓の鎮守として寛永6年に創建
砂川阿豆佐味天神社の概要
砂川阿豆佐味天神社は、立川市砂川町にある神社です。砂川阿豆佐味天神社は、砂川開拓の鎮守として、式内社阿豆佐味天神社を勧請して寛永6年(1629)に創建、明治43年村内の日枝神社を合祀したといいます。
社号 | 阿豆佐味天神社 |
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祭神 | 少彦名命、天児屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | 水天宮、蚕影神社・八雲神社・疱瘡社・稲荷社・天神社・御嶽神社・浅間神社・金刀比羅神社・八坂大神社 |
住所 | 立川市砂川町4-1-1 |
祭日 | 例祭日9月15日 |
備考 | - |
砂川阿豆佐味天神社の由緒
砂川阿豆佐味天神社は、砂川開拓の鎮守として、式内社阿豆佐味天神社を勧請して寛永6年(1629)に創建、明治43年村内の日枝神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による砂川阿豆佐味天神社の由緒
(砂川村)
阿津佐美天神社
除地、一町八段三畝、往還の北中程より東にあり、本社はわづかなる社にて、三間に四間の覆屋を設けり、南向、拝殿二間に三間、社前に鳥居を立つ、神主は宮崎山城と云ひしよし、今は其居宅に居れる留主のものこの社を守れり。
末社。疱瘡神社、稲荷社。
山王社
除地、一段六畝廿歩、これも往還の上水の傍にあり、村内流泉寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による砂川阿豆佐味天神社の由緒
寛永六年(一六二九)、砂川開拓の鎮守として、親村である西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷戸から、式内社阿豆佐味天神社を勧請。本殿は、元文三年(一七三八)ころの造営と推定され、市内最古の木造建造物。拝殿は、文久二年(一八六二)に竣工し、総けやき造、近郷まれにみる豪壮な建築である。明治四十三年、日枝神社を合併し、天児屋根命が祭神に加えられた。旧砂川地域全体を氏子区域とする。(東京都神社名鑑より)
砂川阿豆佐味天神社所蔵の文化財
- 阿豆佐味天神社本殿(市指定有形文化財)
- 蚕影神社跡
阿豆佐味天神社本殿
阿豆佐味天神社は、寛永六年(一六二九)頃、村山郷殿ヶ谷(瑞穂町)から勧請されました。以来、砂川村の人々の心のよりどころとして信仰されてきました。祭神は少彦名命です。
この本殿は、十八世紀前半に建てられたものと考えられています。立川市内の木造建築物としては、最も古いものの一つです。建築様式は「一間社流造正面軒破風付こけら葺」といいます。昭和五十五年に改修工事が行われ、現在は拝殿の後ろの白い覆殿に納められています。(立川市教育委員会掲示より)
蚕影神社跡
蚕影神社は、養蚕の守り神として、常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)から、安政七年(一八六〇)二月に勧請された、阿豆佐味天神社の末社です。
この砂川地区では、江戸時代の中頃から養蚕が行われていました。幕末の安永五年外国と貿易を始めるようになると、養蚕は著しく発展し、村の主産業になりました。そして明治から昭和にかけて、砂川の養蚕は最盛期を迎え、人々の生活を支えました。
この蚕影神社によって、幕末に、砂川で養蚕が盛んに行われていたことがわかります。(立川市教育委員会掲示より)
砂川阿豆佐味天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑