十二神社|多摩川の中洲にあった築地村が洪水により流失、当地へ移転
十二神社の概要
十二神社は、昭島市玉川町にある神社です。十二神社の創建年代等は不詳ながら、かつて多摩川の中洲にあったといいます。多摩川の中洲にあった築地村が文化8年(1811)洪水により流失、村民と共に(村ごと)当地へ移転したといいます。
社号 | 十二神社 |
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祭神 | 天神七代、地神五代 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、金刀比羅神社 |
住所 | 昭島市玉川町5-9-21 |
祭日 | 8月第三日曜日 |
備考 | - |
十二神社の由緒
十二神社の創建年代等は不詳ながら、かつて多摩川の中洲にあったといいます。多摩川の中洲にあった築地村が文化8年(1811)洪水により流失、村民と共に(村ごと)当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による十二神社の由緒
(築地村)十二社権現社
九尺四方の覆屋、眞覺寺の持、享保四年洪水の時、社地流失して後眞覺寺境内へ移せり(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による十二神社の由緒
縁起創建は明らかではないが、伝えによると築地村の祖先は往昔より多摩川の沿岸に居住し、十二権現を祀る。文化八年(一八一一)辛未の年に、長雨のため多摩川氾濫いちじるしく、村落ことごとく流失した。村民はこの災害により洪水を恐れ現在地に移住、社殿を造営し、明治二十九年社名を十二神社と改称。(東京都神社名鑑より)
「昭島市史」による十二神社の由緒
十二神社(築地町、現玉川町)
築地は『新編武蔵風土記稿』によれば、民家二一軒の集落で多摩川の築地の渡しの付近にあった。この地域に十二権現が鎮座していたが、文化八(一八一一)年の多摩川大洪水の折に村落と共に被災したため、現在の地に替地を得て移住した時に神社も遷座し、明治二九年に社号を十二神社と改称した。祭神には天神七代、地神五代の神々を奉斉している。(「昭島市史」より)
十二神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「昭島市史」