観音寺|昭島市大神町にある天台宗寺院
観音寺の概要
天台宗寺院の観音寺は、大上山と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、かつては東勝寺と号し、東勝庵の地(大神町1-4-15)にあったといいます。永禄12年(1569)滝山合戦により焼失、徳川家康の助力を得て、権大僧都広栄法印が、観音寺と改めて慶長8年(1603)再建したといいます。
山号 | 大上山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗派 | 天台宗 |
住所 | 昭島市大神町3-6-5 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、かつては東勝寺と号し、東勝庵の地(大神町1-4-15)にあったといいます。永禄12年(1569)滝山合戦により焼失、徳川家康の助力を得て、権大僧都広栄法印が、観音寺と改めて慶長8年(1603)再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(大神村)観音寺
境内除地、六段八畝、村の東にあり、大上山薬王院と號す、天台宗、當郡高月村圓通寺末、本堂八間に七間、本尊住一面観音、木像長三尺餘立身、慶長十年起立といふ、開山廣榮法印。
鐘楼。九尺四方、鐘は近来の鋳造なりと。
薬師堂。三間四方、境内にあり。(新編武蔵風土記稿より)
「昭島市史」による観音寺の縁起
観音寺(大神町)
大上山薬王院と号す天台宗の寺院。開山開基は明確ではないが、かつては東勝寺という寺院で、現在の東勝庵の地に建立されていた。『観音寺由緒沿革』によれば、東勝寺は永禄一二(一五六九)年の滝山合戦の際、武田軍の攻撃を受けて焼失したが、その後、徳川家康の助力によって、慶長八(一六〇三)年三月に権大僧都広栄法印が現在地に移して再建し観音寺と改称した。
文化八(一八一一)年一〇月に高月の円通寺に宛てた書上帳『観音寺分限帳』によれは「東西六十間 南北百間 内畑四反八畝十二歩 林六反歩」と記されており、拡大な敷地を有し、薬師堂、稲荷社 鐘楼などがあり、山門は青梅街道に面していた。
なお、東勝寺の創建については東勝庵境内から文明年間(一四六九~一四八六)などの板碑が発見されていることから室町時代初期頃の創建と推定できよう。
観音寺の本尊は十一面観世音菩薩の木像立像である。(「昭島市史」より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「昭島市史」