積善山保泉院|東京都有形文化財の閻魔王像
保泉院の概要
曹洞宗寺院の保泉院は、積善山と号します。保泉院は、寶光寺三世南叟(天正12年1584年寂)が開山、かつては字元屋敷にあり積善菴と号していたといいます。また、境内の閻魔王像は、文明5年(1473)に日奉重清(平山氏)が奉納、文政年間(1818-1830)に当寺へ移されたもので、東京都有形文化財となっています。
山号 | 積善山 |
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院号 | 保泉院 |
寺号 | - |
住所 | 西多摩郡日の出町平井860 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
保泉院の縁起
保泉院は、寶光寺三世南叟(天正12年1584年寂)が開山、かつては字元屋敷にあり積善菴と号していたといいます。
新編武蔵風土記稿による保泉院の縁起
(平井村)
保泉院
(禅宗曹洞派、上平井寶光寺の末山)除地、五畝四歩、同元屋敷一段四畝、下平井の東よりにあり、積善山と號す、開山は本山第三世南叟なり、天正十二年正月十八日寂す、本尊釋迦木の坐像長五寸ばかり、客殿八間に五間半南向なり、古へは積善菴と號して、字元屋敷にありしが、いつの頃よりか一寺となりたり、(新編武蔵風土記稿より)
「日の出町史」による保泉院の縁起
つぎに宝光寺三世、南叟林朔を開山とするのが下平井村の積善山保泉院である。もとは字元屋敷にあった積善庵という草庵を現在地に移し、寺名を改めたという。寛文七年の検地では、「保泉院寺中」と「同寺元屋敷」「閻魔免 同寺」の計四筆四反八歩が除地となっている。『風土記稿』では釈迦如来を本尊とするとあるが、現在では中世の作と推定される木造聖観音坐像を本尊にしている。また、境内にある閻魔堂には文明五年(一四七三)作の木造閻魔王坐像が租られ、東京都指定有形文化財に指定されている(「日の出町史」より)
保泉院の縁起
- 木造閻魔王坐像(東京都有形文化財)
木造閻魔王坐像
保泉院の閻魔王は、像内に納められていた銘札の写によると、文明五年(一四七三)仏師了戒(成)によって造られている。
像底部銘文によると、その後、永禄元年(一五五八)十一月に修理されている。さらに膝裏部銘文には、慶安五年(一六五二)二月にふたたび修理がなされたとある。
平井郷の閻魔堂は文明五年、日奉重清(平山氏)によって創建されている。その堂は『新編武蔵風土記稿』によると、文政年間(一八一八~一八三〇)に、小名下平井の南よりにあって、閻魔王はそこに安置されていたが、のち保泉院に移された。
閻魔王の像高八九センチ、裾張一二四・八センチ。寄木造り、玉眼である。この像は、各地でままみられる江戸時代前期ごろ造立された大型閻魔像の先駆的な作例といえる。(日の出町教育委員会掲示より)
保泉院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「日の出町史」