本源院|海禅寺七世の天江東岳和尚開山
本源院の概要
曹洞宗寺院の本源院は、白水山と号します。本源院の創建年代等は不詳ながら、海禅寺七世の天江東岳和尚を勧請開山として慶長18年(1613)に創建したといいます。
山号 | 白水山 |
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院号 | 本源院 |
寺号 | - |
住所 | 西多摩郡奥多摩町白丸122 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本源院の縁起
本源院の創建年代等は不詳ながら、海禅寺七世の天江東岳和尚を勧請開山として慶長18年(1613)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による本源院の縁起
(白丸村)本源院
境内年貢地七間に十三間、村の中程小名清水にあり、禅宗曹洞派、白水山と號す、開山天江慶長十九年遷化せり、本堂七間に四間半南向、本尊十一面観音長七寸銅の坐像を安す。(新編武蔵風土記稿より)
「奥多摩町史」による本源院の縁起
白水山本源院
曹洞宗海禅寺派、慶長十八年(一六一三)三月の創建で開基は不明、開山は海禅寺七世天江東岳(勧請開山か)、本尊は十一面観世音木像長さ二一センチメートル、ほかに子育地蔵尊石像長さ二六センチメートル、総高三四センチメートル、を安置します。
現在の本堂は昭和二十二年の再建で一八二センチメートル四面宝形造、庫裏は本堂へ付設されてこれも一八二センチメートル四面です。
この寺は嘉永六年(一八五三)焼失しましたが、その前後時代からこの寺の消長を採録すると次のようになります。
『武蔵風土記』(文化年間)本堂七間に四間半
『白丸村明細書上帳』(慶応元年)本堂七間に五間 庫裡五間に三間
『白丸村地誌』(明治十一年)本堂再建中 庫裡五間に三間
明治初期は仏教受難の時代です。多くの寺院が小学校に利用されます。白丸村では本源院の畠山林境内に至るまでの一切を売却して学校資金にしようと計画されましたが辛うじてそのこと無きを得て現存しています。(「奥多摩町史」より)
本源院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「奥多摩町史」