川井山長源寺。旧小机領三十三所子歳観音霊場
長源寺の概要
高野山真言宗寺院の長源寺は、川井山観音院と号します。長源寺の創建年代等は不詳ながら、天平11年(739)行基が開山したと伝えられ、三會寺第七世印融法印が中興したともいいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場27番です。
山号 | 川井山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 長源寺 |
本尊 | 木造大日如来坐像 |
住所 | 横浜市旭区上川井町214 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長源寺の縁起
長源寺の創建年代等は不詳ながら、天平11年(739)行基が開山したと伝えられ、三會寺第七世印融法印が中興したともいいます。
新編武蔵風土記稿による長源寺の縁起
(上川井村)長源寺
除地、七段九畝九歩、北の方にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺末、川井山観音院と號す、開山を詳にせず、中興開山實圓元文三年八月九日寂せり、石階數級を登りて客殿あり、四間に五間、南に向ふ、本尊十一面観音、木の立像、長一尺八寸ばかり、行基菩薩の作なりと云。
鍾樓。門を入て右にあり、一間四方、鐘銘に明和五年と刻せり、其證に益なければ略す。(新編武蔵風土記稿より)
長源寺所蔵の文化財
- 木造大日如来坐像(横浜市指定有形文化財)
木造大日如来坐像
このお像は長源寺の本尊で、頭髪を高く結い上げて銅造の宝冠をかぶり、胸の前で智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像です。
張りの強い面部や下半身の装飾的な衣の皺の刻出などに鎌倉時代の作風を受け継ぎ、丁寧にまとめられており、像底部の銘文から、東国仏教界に強い影響を与えた高僧の印融が、永正十年(一五一三)に寄付したことがわかります。
印融は、永享七年(一四三五)に、現在の緑区三保町に生まれ、港北区鳥山町の三會寺や鶴岡八幡宮で学んだあと、高野山で修業し、のちに関東に戻り三會寺を拠点に、真言密教の復興に努めました。
このお像は、当代の佳例であるうえ、印融のおこなった真言密教の復興運動の一相を示してくれるなど、資料的価値も高いといえます。(横浜市教育委員会掲示より)
長源寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿