妙栄山大蓮寺。日蓮上人が泊まった家を改修した法華堂の地
大蓮寺の概要
日蓮宗寺院の大蓮寺は、妙栄山と号します。大蓮寺は、日蓮上人が泊まった家を改修した法華堂の地に、正住院日圓(正保2年1645年寂)が慶長13年(1608)に創建したといいます。
山号 | 妙栄山 |
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院号 | - |
寺号 | 大蓮寺 |
本尊 | 一塔兩尊・四菩薩・四天王・不動・愛染・日蓮大菩薩 |
住所 | 横浜市保土ケ谷区神戸町98 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大蓮寺の縁起
大蓮寺は、日蓮上人が泊まった家を改修した法華堂の地に、正住院日圓(正保2年1645年寂)が慶長13年(1608)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による大蓮寺の縁起
大蓮寺
これも神戸町の内にて、海道の坤の方、2丁ばかりを隔ててあり。日蓮宗にて房州小湊誕生寺末、妙栄山西孝院と號す、開山日円慶長13年の起立なり。此日円は正保2年寂す、客殿4間に4間半、本尊三寶を安す。
鬼子母神の像あり、其餘日蓮の像は日保の作にして祖師の開眼なりと云、長1尺5寸の坐像なり、この像の来由を尋るにもと保土ヶ谷樹源寺の背後の方に法禅寺といひし寺ありて、かの寺に安置せり、いかなる故にか紀州南龍院殿の母公養珠院殿の、かの寺へ寄附せられしものなりとて、台座に御紋をつけたり。
三十番神妙唱大明神合社 客殿に向ひて右の方なり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による大蓮寺の縁起
大蓮寺
位置
大蓮寺は、妙榮山西孝院と號し、保土ヶ谷區神戸下町五百八十四番地に在る。
境内は四百二十坪。房州小湊誕生寺末で、寺格は平僧五等である。
沿革
仁治三年、日蓮聖人二十一歳の際、鎌倉へ遊學の途次、保土ヶ谷宿にて淨土宗の一民家に宿泊したところ、家皃が釋迦尊像を玩弄してゐるを見、其本末の誤れるを敎示したので、後年家主は改宗して、己が宅地を以て法華堂とした。是れが第一に日蓮宗に改宗した帷子里宗祖宿泊の靈場である。法華堂は當時帷子橋畔に在つたが、この地入海に接近してゐるので、海嘯の厄を慮り、寬永二年、正住院日圓が神戸なる小丘の半腹に移して、一寺となし、始めて妙榮山風土記に慶長十三年とある。西孝院大蓮寺と名付けた。紀州南龍公の母堂養珠院お萬の方。が海道往返の途、當寺に詣で、大に日圓上人に歸依し、己の護持佛たる中老僧日法上人作宗祖の木像を寄附せられた。爾後法運愈〻隆昌となり、橫濱開港・明治維新と共に、檀信徒大に增加し、第二十八世日養の代、本堂・玄關・庫裡・山門等の新築・改築・增築等があり、更に二十九世日宣代に至り、大正四年、本堂・玄關を增築し、大正六年、庫裡の增築を爲して、瓦葺に改めた。大正九年十二月、本堂を瓦葺に改め、茲に輪奐の美を添へた。
本尊
本尊は一塔・兩尊・四菩薩・四天王・不動・愛染・宗祖日蓮大菩薩の各木像である。(「横浜市史稿」より)
保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようによる大蓮寺の縁起
開山は江戸時代初期(1625年)。日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが寺の始まりとのこと。家康の側室おまんの方お手植えのざくろの木がある。日蓮宗。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようより)
大蓮寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」