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猫の足あと

天徳院。横浜市保土ケ谷区神戸町にある曹洞宗寺院

天徳院の概要

曹洞宗寺院の天徳院は、神戸山と号します。天徳院は、小野筑後守(寶樹院覺應常林禪定門、慶長11年1606年没)が華林榮公和尚に帰依して、天正元年(1573)臨済宗寺院として創建、小机雲松院九世明山宗鑑和尚が中興し、曹洞宗寺院として開山したと言います。文久年間(1861-1864)に満願寺と後方山上にあつた藥師堂とを合寺しています。

天徳院
天徳院の概要
山号 神戸山
院号 天徳院
寺号 -
本尊 地蔵菩薩像
住所 横浜市保土ケ谷区神戸町102
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



天徳院の縁起

天徳院は、小野筑後守(寶樹院覺應常林禪定門、慶長11年1606年没)が華林榮公和尚に帰依して、天正元年(1573)臨済宗寺院として創建、小机雲松院九世明山宗鑑和尚が中興し、曹洞宗寺院として開山したと言います。文久年間(1861-1864)に満願寺と後方山上にあつた藥師堂とを合寺しています。

新編武蔵風土記稿による天徳院の縁起

天徳院
神戸町の内往還坤の方へ50間許を隔ててあり、曹洞宗小机村雲松院末、神戸山と號す、天正元年の起立にして明玉宗艦と云を開山とす、然るに宗艦は寛文元年4月22日寂すと云ときは時代たがへり、恐は中興開山なるべし、客殿7間に5間、前に石階あり、すべて東南にむかへり。本尊地藏長1尺5寸の坐像なり、此腹内に1寸8分の地藏の像あり、是は運慶の作なりと云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿」による天徳院の縁起

天德院
位置
天德院は、神戸山と號し、保土ヶ谷區神戸下町五百八十一番地にある。境内は一段六畝二十二步。神奈川區小机町雲松院末で、寺格は二等法地三十一級である。
沿革
天正元丙子年、華林榮公和尙が當所の豪族小野筑後守の歸依に依つて開基した所で、當時は臨濟宗であつた。其後六世を經て、萬治年閒に至り、荒廢に歸したが、小机雲松院九世明山宗鑑和尙が再興して、今の宗旨に改めた。故に當寺の開基を華林榮公和尙とし、明山宗鑑和尙を傳法の始祖、卽ち當寺の開山としてゐる。爾來四世に至る住僧は、本寺雲松院より勸請の歷住であつたが、第五世潮山音和尙の代から、連綿として傳法相續し、今日に及んでゐる。文久年間、同町神明社の前にあつた同宗滿願寺 正德の初め燒失中絕に及ばんとしたもの。及び後方山上にあつた藥師堂を合併した。維新前は、神戸町神明社の別當をも兼務して居た。
古來寺格は平僧地であつたが、現住第二十六世大安俊明が、大正十二年中、本堂・庫裡・書院・玄關・山門の再建を遂げて、大に莊嚴を加へた功に依つて昇格し、一等法地に進められたのである。
本尊
本尊は地藏菩薩の木坐像、長一尺五寸。腹籠佛として一寸八分、傳、雲慶作の地藏が納めてある。此尊像は、當寺開基大檀那、小田原北條の家人小野筑後守が、兜の中に納めた守本尊で、後に當寺の本尊とし、外體を造つて、其胎内佛としたところであるといふ。
(中略)
開基
當寺開基大檀那寶樹院覺應常林禪定門。小野筑後守。慶長十一年六月二十七日歿。天祐院高月妙拜禪定尼。小野筑後守室。歿年不明。
雜載
本堂前左側にある石地藏三軀は當寺第九世尊秀の代に建立せしところの一字一石經供養塔で、臺石に銘文があるが、揭ぐべきほどのもので無い。 (「横浜市史稿」より)

保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようによる天徳院の縁起

開山は安土桃山時代(1573年)。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。土地の豪族、小野筑後守が帰依して建立した。曹洞宗。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようより)


合寺した満願寺について

満願寺
此も神戸町の内古町通神明社の傍にあり、坤の方にて海道よにて長2尺。菴室の如き藁屋に安ず、東に向へり。径りは百間許を隔つ、これも雲松院末、閻王山江月院と號す、開山永舟慶長5(1600)年の起立なり、本尊は閻魔(新編武蔵風土記稿より)

天徳院の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」