法性山随縁寺。真言宗寺院として創建、日意が開山
随縁寺の概要
日蓮宗寺院の随縁寺は、法性山と号します。随縁寺の創建年代等は不詳ながら、真言宗寺院だったといい、いつの頃か日蓮宗に改宗、日意(明暦2年1656年寂)が開山したといいます。
山号 | 法性山 |
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院号 | - |
寺号 | 随縁寺 |
住所 | 横浜市磯子区上中里町730 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
随縁寺の縁起
随縁寺の創建年代等は不詳ながら、真言宗寺院だったといい、いつの頃か日蓮宗に改宗、日意(明暦2年1656年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による法性山随縁寺の縁起
(中里村)随縁寺
除地、小名上にあり、法性山と號す、本堂六間四方、開山を日意と云、明暦二年十一月二十七日寂す、法華宗杉田村妙法寺末、古は眞言宗にて關村東樹院末なりしと云、改宗の年月等詳ならず、本尊三寶祖師を安す。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による随縁寺の縁起
隨緣寺
位置
隨緣寺は、法性山と號し、磯子區上中里町七百二十八番地にある。境内は二百六十四坪。杉田町妙法寺末で、寺格は平僧地九等である。創立の年代は詳でない。 開山は日意明曆二年十一月十七日寂。と云ひ、古は眞言宗で關村東樹院の末で在つたと云ふ。明和元年十二月二十四、火災に罹り、堂宇・舊記等悉く灰燼に歸し、沿革等も全く不明となつた。然るに同三年庫裡、天明元年六月、本堂の再建を遂げた。則ち今の堂宇である。
本尊
本尊は十界大本尊・宗祖・大聖人。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
随縁寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿