神明社(羽沢町)|横浜市神奈川区羽沢町の神社

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神明社(羽沢町)|酒井河内守当所を領していた延宝年中に社地を免除

神明社(羽沢町)の概要

神明社(羽沢町)は、横浜市神奈川区羽沢町にある神明社です。神明社の創建年代は不詳ながら、酒井河内守当所を領していた延宝年中(1673-1680)に社地を免除されたといいます。明治6年村社に列格、大正5年村内の聖天の杉山神社、具行の蔵王権現、羽沢村の熊野神社、綿打の杉山神社の四社を合祀したと言います。

神明社
神明社の概要
社号 神明社
祭神 天照皇大神、素盞鳴命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市神奈川区羽沢町922
祭日 9月16日
備考 旧村社



神明社(羽沢町)の由緒

神明社の創建年代は不詳ながら、酒井河内守当所を領していた延宝年中(1673-1680)に社地を免除されたといいます。明治6年村社に列格、大正5年村内の聖天の杉山神社、具行の蔵王権現、羽沢村の熊野神社、綿打の杉山神社の四社を合祀したと言います。

新編武蔵風土記稿による神明社(羽沢町)の由緒

(羽澤村)
蔵王権現社
字具行谷戸にあり、社二間四方南向にして丘上に建り青蓮寺の持なり。
杉山社
字綿打谷戸にあり、社二間に九尺南向、左右に稲荷第六天を祭れり、前に鳥居を立石階を登ること二十八級同寺(青蓮寺)の持なり。
杉山社
字具行谷戸にあり、社二間四方巽向、稲荷第六天を相殿とす、前に鳥居を立是も同じもち(青蓮寺の持ち)。
山王社
字具行谷戸の内にあり、石にて造れる纔なる祠なり、土人此邊を山王山と呼べり。
熊野社
小名綿打谷戸の丘上に立り、社二間四方南に向ふ、左右に稲荷天王を合祀せり、前に鳥居を立青木町浄瀧寺の持。
神明社
小名大道にあり、延寶年中酒井河内守知行の時社地を免除せり、社は三間四方西向にて、左右に八幡明神を相殿とす、前に鳥居を立村の鎮守にして、例祭九月十六日、青蓮東泉の二寺の持なり。
蔵王権現社
小名綿打谷戸にあり、青木町浄瀧寺の持なり。
稲荷社九
村内所々に散在せり、いづれも僅の社にして勧請の年代はすべてつたへず村民の持。
第六天社
小名具行谷戸にあり、石の小祠を建り是も村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による神明社(羽沢町)の由緒

創建年代は不詳であるが、延宝年中(一六七三-八〇)、酒井河内守当所を領した時、社地を免除した記録あり。維新前は同所青蓮寺東泉寺が別当であった。明治六年村社に列せられ、大正五年十二月村内の聖天の杉山社、具行の蔵王権現熊野社、綿打の杉山社を合祀した。大正七年六月本殿を新築、昭和二年一月二十五日神饌幣帛料供進社に指定せられ、同四十五年社務所、舞殿を改築した。(神奈川県神社誌より)

神奈川区史による神明社(羽沢町)の由緒

由緒は不詳。延宝年中(一六七三~一六八一)酒井河内守が当所を所領した時、社地を免除したという。
維新前は同所の青蓮寺東泉寺が別当をしていた。明治六年村社に列せられ、大正五年一二月三日、村内の聖天の杉山神社、具行の蔵王権現、羽沢村の熊野神社、綿打の杉山神社の四社を合祀した。
大正七年六月一〇日に本殿を新築した。昭和二年一月二五日、神饌幣帛料供進社に指定された。(神奈川区史より)


神明社(羽沢町)の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川区史」
  • 「神奈川県神社誌」