正光山本慶寺。池上本門寺第四世日山上人創建
本慶寺の概要
日蓮宗寺院の本慶寺は、正光山日蓮院と号します。本慶寺は、池上本門寺第四世日山上人が弘道道場のため応安8年(1375)創建したといいます。
山号 | 正光山 |
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院号 | 日蓮院 |
寺号 | 本慶寺 |
住所 | 横浜市神奈川区子安通3-336-2 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本慶寺の縁起
本慶寺は、池上本門寺第四世日山上人が弘道道場のため応安8年(1375)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による本慶寺の縁起
(東子安村西子安村新宿村)本慶寺
東子安の内海道にあり往還よりは少しく引こめり、日蓮宗にて池上本門寺の末なり、正光山日蓮院と稱す、本尊三宝祖師を安ず、開基は詳ならず、開山は本門寺の第四世日山弘道道場のため応安八年起立、客殿六間に五間南向なり、寛永の頃の除地は二段六畝十歩とあり。
寺寶。日山自筆曼荼羅一幅、日蓮筆一幅。
番神堂。二間に三間門を入て左にあり。
稲荷社。居山の頂にあり小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による本慶寺の縁起
『新編武蔵風土記稿』に「池上本門寺ノ末ナリ、正光山日蓮院ト称ス、本尊三宝祖師ヲ安ズ。開基ハ詳ナラズ、開山ハ本門寺ノ第四世日山、弘通道場ノタメ応安八年起立」とあって、俗称を子安弘通所といい、本山住職の兼務であって鎌倉妙本寺への往還に茶所として休息所でもあったという。
明治五年鉄道敷設以前は、現在の浅野山につづいて本慶寺山という丘陵があって妙見堂をその山頂に祭祠してあった。
明治元年一月七日の神奈川宿の大火に類焼したが、明治八年八月本堂、庫裡の再建をとげ、明治一五年荏原郡六郷村勧請寺の建物を買受けて本堂を建替へ、さらに大正六年新築。
大正一二年九月一日の関東大震災には堂宇の全てが倒壊し、その後、本堂から再建を行ったが、昭和二〇年五月二九日の空襲によって焼失した。(「神奈川区史」より)
「神奈川区史」による本慶寺の縁起
本慶寺
位置
本慶寺は、正光山と號し。神奈川區子安町新子安海道通二千九百五十三番地にある。境内は五百三坪。官有地。池上本門寺の末寺で、寺格は平僧六等である。
沿革
開山は本門寺第四世日山聖人である。新編武藏風土記稿には、應安八年起立と載せ、寺院明細帳には、康曆元年七月創立と記し、何れが正か明かでない。幕末の頃は、六間に五間の客殿、二間に三間の番神堂、及び稻荷の小社があつたが、明治元年正月七日、神奈川宿の大火に類燒した。明治八年八月、本堂及び庫裡の再建を遂げ、明治十五年、荏原郡六鄕村勸請寺の建物を買得して、本堂を建替へ、大正六年、更に又新築を遂げた。大正十二年九月一日、大震災に罹り、本堂・庫裡七間に四間。境内佛堂妙見堂二間半に三間半。等、悉皆倒潰した。翌大正十三年九月、復興に著手し、十四年七月、先づ本堂を再建し、續いて昭和三年六月、庫裡及び書院の造立を竣り、今、妙見堂及び山門の工事設計中にある。
本尊
本尊は十界勸請大曼荼羅及び日蓮大菩薩の木像である。(「神奈川区史」より)
本慶寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」