圓明山陽光院。越前永平寺三六世本然円明禅師の隠居所として創建
陽光院の概要
曹洞宗寺院の陽光院は、圓明山と号します。陽光院は、養老軒と称して越前永平寺三六世本然円明禅師の隠居所として宝永年間(1704-1710)神奈川宿青木町に創建したといいます。寛延年間に久良岐郡金沢伝心寺末陽光院を引寺して一寺とし、大正2年当地へ移転したといいます。
山号 | 圓明山 |
---|---|
院号 | 陽光院 |
寺号 | - |
住所 | 横浜市神奈川区三ツ沢中町11-9 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
陽光院の縁起
陽光院は、養老軒と称して越前永平寺三六世本然円明禅師の隠居所として宝永年間(1704-1710)神奈川宿青木町に創建したといいます。寛延年間に久良岐郡金沢伝心寺末陽光院を引寺して一寺とし、大正2年当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による陽光院の縁起
(下台町)
(三宝寺と)同ならびにあり。曹洞宗越前永平寺末。これは近き寺院なり。木下内記紀林と云人そのゆかりありし僧光潭と云ものとはかり久良岐郡金澤に養老軒と云庵室ありしをここへ引移して、石牛天梁を勧請し、開山となして創建せり。よりて光潭を二世とせり。此僧は宝暦二年八月二十八日に寂せり。紀林は宝暦三年三月二日歿せり。彼勧請開山天梁は正徳四年三月四日寂せし人なり。本尊は釈迦を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による陽光院の縁起
円明山陽光院(曹洞宗氷平寺直末) 三ツ沢中町一一番地の九
沿革 越前永平寺三六世本然円明禅師の隠居所として創建された養老軒が当院のはじまり(宝永年中)。本覺寺、宗興寺の尽力によって、久良岐郡金沢伝心寺末で元禄五年一一月火災で廃寺の状態にあった陽光院の名跡を養老軒が譲受け寛延年間に一寺となった。
山号は養老軒に隠楼した禅師に基くものである。(「神奈川区史」より)
「神奈川区史」による陽光院の縁起
陽光院
位置及寺格
陽光院は、圓明山と號し、神奈川區靑木町字三ッ澤二千七百五番地にある。
境内は五百二十一坪。大本山永平寺の直末で、寺格は三等法地六十級である。
沿革
新編武藏風土記稿に據れば、木下内記紀林と云ふ者、僧光潭と謀り、久良岐部金澤にあつた養老軒と云ふ庵室を茲に移して、石牛天梁を勸請開山として創建したとあるが、當寺所藏の文書には、當院は初め養老軒と稱し、元祿・寶永年間に越前永平寺第三十六世圓明禪師の隱棲所として創立された所で、後、延享・寬延年間、禪師の遺志に基き、金澤傳心寺末、陽光院の寺號を移して、寺號を公稱するに至つたとある。
初め養老軒草創にあたり、本覺寺寅盛が禪師の囑を受け、檀徒内田又左衞門及び伊勢屋孫兵衞と共に斡旋し、陽光院引寺に當つたので、本覺寺は宗興寺と與に力を盡す所が多かつたと云ふ。當院、元は七軒町三百十八番地に在つたが、明治四十四年九月二十八日、其筋の手續を了し、大正二年、現在の境内に移轉を遂げたのである。
本尊
本尊は釋迦牟尼佛。(「神奈川区史」より)
陽光院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」