正壽山長導寺。名主源右衛門の先祖鈴木與兵衛開基
長導寺の概要
日蓮宗寺院の長導寺は、正壽山と号します。長導寺は、名主源右衛門の先祖鈴木與兵衛(法名信経院日勝)が開基となり、小机本法寺第七世真浄院日潤上人(寛永元年1624年寂)が慶長4年(1599)に開山したといいます。
山号 | 正壽山 |
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院号 | - |
寺号 | 長導寺 |
住所 | 横浜市神奈川区菅田町1678 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長導寺の縁起
長導寺は、名主源右衛門の先祖鈴木與兵衛(法名信経院日勝)が開基となり、小机本法寺第七世真浄院日潤上人(寛永元年1624年寂)が慶長3年(1599)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による長導寺の縁起
(下菅田村)長道寺
村の北方にあり、日蓮宗池上本門寺の末山、正壽山と號す、僧日潤慶長四年開山し、寛永元年二月二十日寂せり、開基は名主源右衛門が先祖與兵衛なり、鈴木を氏とす、法號を信経院日勝と云、客殿五間半四方南向、本尊三寳を安せり、堂の前に少しの石階をなし、側に題目をえりたる碑を立。
番神堂。門を入て左にあり、二間四方南向、神體三十軀何れも坐像長三寸。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川区史による長導寺の縁起
正寿山長導寺(日蓮宗) 菅田町一六七八番地
沿革 慶長三年の草創。小机本法寺の第七世真浄院日潤聖人の開山。開基は清意院宗長(寛永十二年十一月十六日寂鈴木九右衛門)と信如院妙宗尼(明暦元年八月二十日寂)の夫妻(当寺過去帳)で、当地に庵室を建てて日潤の隠楼の地とした。
『新編武蔵風土記稿』によれば開基は信経院日勝(鈴木与兵衛)といわれる。
寛永二年、寺山号を越後の国より移して、池上の長栄山本門寺の末寺となった。
第三世仏種院日俒聖人の承応二年七月九日焼失の難にあったが翌年十二月に再建し、その後、寛政三年第十六世観道院日喜聖人の代に本堂の再建をおこなった。(神奈川区史より)
「横浜市史稿」による長導寺の縁起
長導寺
位置
長導寺は、正壽院と號し、神奈川區下菅田町千六百七十八番地に在る。境内
は一段六畝一步。官有地。池上本門寺の末で、寺格は平僧八等である。
沿革
慶長三年の草創で、開山は小机町本法寺第七世眞淨院日潤である。開基は當所の豪士鈴木與兵衞、法名信經院日勝と云ふ。與兵衞深く日潤上人に歸依し、今の地に庵室を建て、師の隱棲の地とした。以來二十有七年を經て、寬永二年、寺號を越後國より移して、一寺となし、池上本門寺の末に屬した。第二世日銳の代、慶安四年、番神堂建立等が在つた。然るに承應二年七月九日、第三世日俒の代、囘祿に罹り、堂宇悉く燒失し、翌三年十二月再建した。其後寬政三年、第十六世政觀道院日喜の代、本堂の再建を爲した。則ち今の堂宇が是れである。
本尊
本尊は首題寶塔・釋迦・多寶如來・日蓮大菩薩である。(「横浜市史稿」より)
長導寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」