猫の足あとによる横浜市の寺院、神社など横浜市の寺社案内 猫の足あとによる横浜市の寺院、神社など横浜市の寺社案内
猫の足あと

最勝寺。横浜市神奈川区菅田町にある高野山真言宗寺院

最勝寺の概要

高野山真言宗寺院の最勝寺は、熊野山と号します。最勝寺の創建年代等は不詳ながら、明細帳では興覺法印(寛正10年寂1470か?)が開山したといい、残されている墓碑に従えば権大僧都善祐(慶安5年1652年寂)が開山したのではないかともいいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場3番です。

最勝寺
最勝寺の概要
山号 熊野山
院号 -
寺号 最勝寺
住所 横浜市神奈川区菅田町2713
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



最勝寺の縁起

最勝寺の創建年代等は不詳ながら、明細帳では興覺法印(寛正10年寂1470か?)が開山したといい、残されている墓碑に従えば権大僧都善祐(慶安5年1652年寂)が開山したのではないかともいいます。

新編武蔵風土記稿による最勝寺の縁起

(下菅田村)最勝寺
村の東方にあり、古義真言宗鳥山村三會寺の末、熊野山と號す、開山開基の年代詳ならず、境内墓所の内に権大僧都法印慶安五年七月六日寂とあり、もしくはこの僧都の開山せしが、さもあらんには草創の年歴を推てしるべし、客殿五間に七間半東向、本尊薬師坐像長二寸五分銅にて造れり。
富士浅間社。小祠なり、小高き所にあり。
秋葉子権現金毘羅合殿。一間四方の祠、境内背後の高き所にあり。
熊野社。境内にあり、入口は當寺の門と並で別に門を設けり、社は一間四尺に二間前に鳥居を立。
浅間社。門を入て右の方にあり、二間に一間半の覆屋を作り、中に本社をいる。
観音堂。門の前小高き所にあり、三間四方、正観音の立像長四寸ばかり、堂乾に向ひて僅の石階あり。
墳墓古塚。小名十三塚にあり、今は僅に一つのこれり、されど古は十三ありし故この名あり、塚の大さ下の方はわたり一丈許、相傳ふ昔此地に於て戦争ありしをりから、戦死せし人を埋めしといへど造なることはもとより知るべからず。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川区史」による最勝寺の縁起

小机三三番霊場の三番目の札所であるが、沿革は定かでない。院号も不明である。
境内の墓所に権大僧都善祐、慶安五年七月六日寂という墓があるので、この善祐が開山ではあるまいかと『新編武蔵風土記稿』にはあって、推定すれば草創の年歴も、おしはかることができるとしている。
大正一二年九月一日当時住職であった憲融法印が大震災のため逝去している。
翌一三年堂宇倒壊のため、橘樹郡川井方面の養蚕農家を買取り、平家建に移建再築した。(「神奈川区史」より)

「横浜市史稿」による最勝寺の縁起

最勝寺
位置
最勝寺は熊野山と號し、神奈川區下菅田町二千七百十三番地に在る。境内は二百六十八坪。官有地。區内鳥山町三會寺末、寺格は十八等、小机三十三番靈場の三番の礼所である。
沿革
當寺明細帳に、開山は興覺法印、寛正十年八月十日示寂とあるが、新編武藏風土記稿には「開山・開基ノ年代詳カナラズ。境内墓所ノ内ニ權大僧都法印善祐、慶安五年七月六日寂トアリ。モシクハ、コノ僧都ノ開山セシカ。サモアランニハ、草創ノ年歷モ推テシルベシ。」とあり、沿革も亦、明かでない。大正十二年九月一日の大震災に、堂宇倒潰し、住職憲融法印が此難に殉した。翌十三年、堂宇の再建成り、今は本寺三會寺で兼務して居る。
本尊
本尊は薬師如來の木坐像、長約一尺、作は不詳である。(「横浜市史稿」より)


最勝寺の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川区史」
  • 「横浜市史稿」