金沢八幡神社|鎌倉時代既に八幡宮として奉祀、旧村社
金沢八幡神社の概要
金沢八幡神社は、横浜市金沢区寺前にある神社です。金沢八幡神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には既に創建していたといいます。明治6年村社に列格、明治41年村の無格社神明社、王子社、鷲の宮の三社を合祀、大正8年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | 大日孁貴命、建御名方刀美命、日本武尊 |
境内社 | - |
住所 | 横浜市金沢区寺前1-10-19 |
祭日 | 例大祭7月11日・秋祭湯立神楽9月15日 |
備考 | - |
金沢八幡神社の由緒
金沢八幡神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には既に創建していたといいます。明治6年村社に列格、明治41年村の無格社神明社、王子社、鷲の宮の三社を合祀、大正8年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。
新編武蔵風土記稿による金沢八幡神社の由緒
(寺前村)
八幡社
除地、村の未の方にあり、前に鳥居たてり、覆屋三間半に二間半、内に小なる社あり、拝殿二間に三間餘南向、神體八寸許の坐像、村内報恩寺の持、覆屋の内に坐像権現山王稲荷大神宮天王等の小社並べり。
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神明社
除地、小名上にあり、村の鎮守なり、覆屋二間に三間西向、中に小なる社を安せり、薬王寺のもち。
末社稲荷社、龍神社。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による金沢八幡神社の由緒
創立年月は詳らかでないが、鎌倉時代既に八幡宮として奉祀されていた事は称名寺造営の資材を荷揚げしたという金沢文庫古文書の記載によって知り得る。新編武蔵風土記稿によれば、覆殿の内に蔵王権現・山王・稲荷・大神宮・天王の諸小社が並び存在したとあるが、これらは本社西側の小祠に奉斎された。当社は古来社家がなく、隣接した八幡山報恩寺が別当職であったが、明治以前に廃寺となった為記録も消失した。維新前は八幡大菩薩と呼称したが明治二年神仏分離の際、社号を八幡神社と改めて、氏子区域を寺前村と定め、同六年十二月村社に列格した。
明治四十一年九月村内の無格社神明社、王子社、鷲の宮の三社を合併合祀したが、鷲の宮は往古称名寺山内にあり、特に金沢北条氏の崇敬者であったと伝えられる。
大正八年社殿の大改築を行って本殿幣殿拝殿を完備し、同年七月十日神饌幣帛料供進神社に指定された。同十二年九月一日関東大震災に社殿全潰し、旧神輿庫を仮殿として祭祀を奉仕したが、同十四年九月十五日には復興造営竣工した。昭和十五年五月一日神輿庫新築竣工、同時に紀元二千六百年記念事業として花崗岩大鳥居玉垣手水舎等の建築工事も落成した。(神奈川県神社誌より)
金沢八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿