吼月山泥牛庵。米倉丹後守の陣屋構内に創建
泥牛庵の概要
臨済宗円覚寺派寺院の泥牛庵は、吼月山と号します。泥牛庵は、圓覺寺第十七世南山士雲和尚(建武2年1335年寂)が開山となり、米倉丹後守の陣屋構内に創建、本寺能仁寺が廃寺となった際に当地へ移転したといいます。金沢三十四所観音霊場12番です。
山号 | 吼月山 |
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院号 | - |
庵号 | 泥牛庵 |
住所 | 横浜市金沢区瀬戸11-15 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泥牛庵の縁起
泥牛庵は、圓覺寺第十七世南山士雲和尚(建武2年1335年寂)が開山となり、米倉丹後守の陣屋構内に創建、本寺能仁寺が廃寺となった際に当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による泥牛庵の縁起
(社家分村)泥牛庵
除地三畝、小名引越にあり、臨済宗鎌倉圓覺寺末、吼月山と號す、六間半に七間の庵なり、巽向、本尊正観音立像長二尺許行基作、ここも札所の一なり、開山は圓覺寺第十七世南山士雲和尚なり、建武二年十一月七日寂、當庵古は能仁寺と云寺の塔中にて、今の米倉丹後守の陣屋構の内にありしが、能仁寺は既に廃寺となり當庵は陣屋取立の時ここに移されしと云、能仁寺の事は陣屋の條下に附記す。(新編武蔵風土記稿より)
泥牛庵の周辺図
参考資料
- 新編武蔵国風土記稿