海照山圓應寺。旧小机領三十三所子歳観音霊場
圓應寺の概要
高野山真言宗寺院の圓應寺は、海照山と号します。圓應寺の創建年代等は不詳ながら、本尊千手観音は、聖徳太子より与えられたものだと伝えられるといい、盛秀(正保4年1647年寂)が中興開山したといいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場13番です。
山号 | 海照山 |
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院号 | - |
寺号 | 圓應寺 |
住所 | 横浜市港北区新吉田町4098 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓應寺の縁起
圓應寺の創建年代等は不詳ながら、本尊千手観音は、聖徳太子より与えられたものだと伝えられるといい、盛秀(正保4年1647年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による圓應寺の縁起
(吉田村)圓應寺
年貢地、二石一斗一升二合、村の北の方にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺末、海照山と號す、客殿六間に四間東向なり、本尊千手観音長三尺餘の立像なり、聖徳太子の作なりといへり、縁起あり、その大意に、聖徳太子攝政の頃、東國巡行し、爰に至り給ふなりといへり、されど彼太子東國へ下りたまひしことは、正史にはみえず、開山開基を詳にせず、中興開山を盛秀と云、正保四年五月二日示寂す。
辨天社。門前にあり、僅に池の形をなして中に小社を置、神體坐像にして長八寸ばかり。(新編武蔵風土記稿より)
圓應寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿