松風山正應寺。横浜市港南区野庭町にある浄土宗寺院
松風山正應寺の概要
浄土宗寺院の正應寺は、松風山松林院と号します。正應寺は、真蓮社栄誉冷吟(寛永11年1625年寂)が開山、江戸期には1町歩(3000坪)ほどの境内を有していたといいます。
山号 | 松風山 |
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院号 | 松林院 |
寺号 | 正應寺 |
住所 | 横浜市港南区野庭町245 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
松風山正應寺の縁起
正應寺は、真蓮社栄誉冷吟(寛永11年1625年寂)が開山、江戸期には1町歩(3000坪)ほどの境内を有していたといいます。
新編相模国風土記稿による松風山正應寺の縁起
(下野庭村)
正應寺
武州久良岐郡松本村正覺寺末、松風山栖林院と號す、本尊彌陀、開山冷吟、眞蓮社榮譽と號す、寛永十一年七月八日寂す、本堂中に嘉暦四年の板碑を置く。(新編相模国風土記稿より)
「港南の歴史」による松風山正應寺の縁起
正応寺(松風山松林院)
当寺開創の年月は、詳らかにできないが、開山真蓮社栄誉冷吟は、寛永一一年七月八日示寂しているので、元和か、寛永(一六一五~四三)の頃の、創建と推定される。
一〇世讃誉上人は、元禄の頃の寺の様相について、「境内御除地、客殿六間四方、本尊新仏座像御長一尺八寸、開山栄誉上人也、境内一町余、鎮守稲荷大明神也、嘉暦元年之石仏有之、此本尊ハ江戸梅窓院弟子西運廻国供養仏也」と記しているので、当時の規模を知るととができるが「嘉暦元年の石仏」とは、如何なる仏像であったか不明である。
当寺に「嘉暦四年の板碑」が存在することは、『新編相模国風土記稿』に記載されているが、石仏は、全然ない。
(附近に七ッ塚、十三塚、などがあったが、高速道路、横浜南バイバスの建設のため現在では旧所在地も確認できぬ。)(「港南の歴史」より)
松風山正應寺所蔵の文化財
- 板碑(嘉暦四年己巳八月日銘)(横浜市地域有形文化財)
板碑(嘉暦四年己巳八月日銘)
この板碑には、嘉暦四年(一三二六)己巳八月日の銘があり、一重枠どりの中に来迎阿弥陀立像(円光背)が見事に線刻されています。幕府官撰の『新編武蔵風土記稿』相模国鎌倉郡下野庭村正應寺の項に「本堂中に嘉暦四年の板碑を置く」と記されており、その存在は古くから知られていました。(横浜市教育委員会掲示より)
松風山正應寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「港南の歴史」