梅窓院|港区南青山にある浄土宗寺院

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長青山梅窓院|江戸三十三観音霊場24番

梅窓院の概要

浄土宗寺院の梅窓院は、長青山寶樹寺と号します。梅窓院は、大本山増上寺十二世普光観智国師を勧請開山、郡上八幡城主青山大蔵少輔幸成が開基となり、寛永20年(1643)青山大蔵少輔幸成の側室を大檀越として青山家下屋敷内に創建したといいます。当寺所蔵の泰平正観世音菩薩像は、江戸三十三観音霊場24番、東京三十三観音霊場7番札所となっています。

梅窓院
梅窓院の概要
山号 長青山
院号 梅窓院
寺号 寶樹寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 港区南青山2-26-38
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 墓地受付中、梅窓院本堂・観音堂を一般に開放
備考 公式ページ:梅窓院ホームページ江戸三十三観音霊場24番、東京三十三観音霊場7番



梅窓院の縁起

梅窓院は、大本山増上寺十二世普光観智国師を勧請開山、郡上八幡城主青山大蔵少輔幸成(法名梅窓院殿香誉浄薫大禅定門)が開基となり、寛永20年(1643)青山大蔵少輔幸成の側室(法名長青院殿天誉利白大姉)を大檀越として青山家下屋敷内に創建したといいます。

「赤坂區史」による梅窓院の縁起

浄土宗梅窓院(山號及別號長青山寶樹寺 京都知恩院末)青山南町四丁目九番地
起立は寛永廿年、開基は攝州尼ヶ崎城主青山大蔵大輔幸成法名梅窓院殿香譽浄薫大禅定門である。青山幸成が寛永二十年を以て卒するや、その下屋敷内に於て荼毘に附したが、同家はこの荼毘地に當寺を創建したのである。當時下屋敷内寄附地は、東西七十間餘、南北百八十二間、總坪數一萬三千二百四十七坪、初代住持は載蓮社頂譽上人南龍和尚、號冠中、下野の人姓は津田氏(寛文十年四月六日寂)であつた。當寺の開山は觀智國師となつてゐるが、この觀智國師は増上寺の中興開山にして、寛永以前の元和六年に示寂されたのであるから、恐らく南龍和尚が基を開き、後に國師を追仰して勸請開山と定めたものであらう。
青山忠俊、幸成兄弟は路を隔てゝ居住し、銘々にその邸内に菩提所があつたもので、忠俊の寺は街道より北側に位置して玉窓寺と云ひ、幸成の寺は南側にて、この梅窓院であつた。故に當寺は今なほ子爵青山家の菩提所であつて、その塋域もこゝに在る。
當寺は數次の市區改正等によつて、地域著しく縮小されたけれども、昔境内一萬二千百餘坪を包有した時分は壮麗を極めた一大伽藍であつた。境内の觀音堂に安置してある泰平觀世音は、寺傳によれば、自然銅、丈三寸三分、天竺傳来にして源賴義公の陣中守護佛であつたのが青山家に傳はり、後當寺に納めたと云ふ。また門内の地蔵堂には、楔地蔵尊を奉安してゐる。
本堂の前にある拾櫻は、江戸砂子に、「第二世峰譽上人、門前にて苗木を拾ひ、みづから植られしとなり、今は大木となり類なきしだれ櫻なり」と記されたものである。また一説には、此櫻もと千駄ヶ谷平井某の邸にあつたのを爰に移した故平井櫻と稱したとも云ふ。しかるに弘化二年正月二十四日の青山大火に類焼し、この堂塔坊舎が悉く灰燼に歸した。その後坊舎の大部分を復興したるも、昔時の壮観を想へば、痛惜に堪へない。右弘化二年の大火には、本堂の外に、紫銅の釋尊や順譽上人の作と傳ふる十六羅漢及び二十五菩薩の像を安置した羅漢同、鍾樓、秋葉明神を合祀せる百濟稲荷や、虚空蔵堂、大日堂等も皆烏有に歸した。また總門に懸偈られてゐた長青山の三大字を書した遍額は、黄檗悦山禅師の染筆として著名なものであつたが、これ亦總門と共に焼失した。
墓地には、青山家歴代の墳塋のほか平松子爵家の墓域があり、又耆山玄海和尚(増上寺住職、後當寺に隠棲、風格高逸を以て鳴る。寛政六年四月十七日寂、法名青蓮社沓譽耆山玄海)の自偈を鐫した墓や、儒者角田青渓(江戸の人、名は平、字は公照、通稱平左衛門、天明八年四月二十四日歿。)蘭醫家竹内玄同(加賀大聖寺お人シーボルトに就て醫學を修む。松岡侯の典醫、安政五年将軍の侍醫となり、西洋醫學所取締を兼ねた。明治十三年十一月歿、年八十六。)歌人伊藤松軒(江戸の人、通稱次大夫、倚松庵と號した。寛政六年十月三十日歿、年八十六)書家板谷桂舟(もと青山大膳亮の家臣、土佐派の住吉廣守に學び、幕府の御用繪師となる。寛政九年八月二十一日歿、年六十九。)雅楽家山脇氏歴代の墳墓及び明治の奇商岩谷松平(自ら天狗と稱し、常に赤服し赤塗人力車を乗廻し、子女二十餘人あつた。大正九年三月十日歿、年七十二。)の墓等がある。
郡上藩青山家の墓地の前に、同家の分家である青山家の塋域があつて、その中に昔の切支丹燈籠を利用した珍しい墓が見出された。碑面には「壽覺院殿ゆえ從五位下清譽大雄洪愍大居士、明治二己巳年、十一月廿九日、孝子幸勤筆」と刻されてゐる花崗石の一基がそれである。(「赤坂區史」より)

御府内寺社備考による梅窓院の縁起

起立之儀者青山大蔵少輔幸成下屋敷内於荼毘之地一宇建立候後増上寺観智国師を開山ニ被迎候住職を頂誉寿傍二世ニ居。
開山観智国師元和六庚申念十一月二日寂。
開基青山大蔵少輔幸成法名梅窓院殿香誉浄薫大禅定門寛永二十癸未年二月十六日寂。
第二世頂誉寿傍延宝三乙未念七月十六日紀州大智寺ニ於寂。
中興六世證蓮社間誉上人意通和尚代元禄五申念厳有院様御十三回忌之御奉行本多紀伊守殿町觸ニ付梅窓院記立書左上同九月古跡地ニ付仰付御奉行右中興関誉聖元禄六丙念八月十一日寂。(御府内寺社備考より)


梅窓院の周辺図


参考資料

  • 「赤坂區史」
  • 御府内寺社備考