大久保山自性院。東国八十八ヶ所霊場
大久保山自性院の概要
高野山真言宗寺院の自性院は、大久保山地蔵寺と号します。自性院の創建年代等は不詳ながら、当寺十五世権少僧都長信法印(寛永12年寂)が中興したといいます。東国八十八ヶ所霊場66番です。
山号 | 大久保山 |
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院号 | 自性院 |
寺号 | 地蔵寺 |
住所 | 横浜市港南区大久保2-34-15 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大久保山自性院の縁起
自性院の創建年代等は不詳ながら、当寺十五世権少僧都長信法印(寛永12年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による大久保山自性院の縁起
(久保村)
自性院
除地、二段六畝十五歩、小名北ノ谷にあり、古義眞言宗、石川寶生寺の末、久保山地蔵寺と號す、本堂は近き頃焼亡して未だ再興に及ばず、庫裏南向、本尊地蔵を安す、立像長一尺許、傍に彌陀不動及び弘法等の像を置、開山開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)
「港南の歴史」による大久保山自性院の縁起
自性院(久保山地蔵寺)
創建の年代や、開山、開基などは詳かでないが、寛氷一二年五月一日寂の、一五世権少僧都長信法印が中興といわれている。
二五世宥禅法印の代、庫裏客殿並に門などを造営した。文化九年一二月二四日に、堂宇は灰燼に帰し、什宝、古記録は焼失した。
日野の高梨家の古家屋一棟を買取って、本堂、庫裏兼用を建築したが無住の時が多かった。
安政二年二八世満賢房霊明法印が三間堂を建立し、青木明神の遷宮の大導師を務めている。
三四世少僧都宥霊坊英禅が参道の石段を整備して、寺容をととのえた。
明治御一新まで久保村権現堂の別当であった。(「港南の歴史」より)
「横浜市史稿 佛寺編」による大久保山自性院の縁起
自性院
位置
自性院は、久保山地藏寺と號し、中區大久保町三百九十九番地に在る。境内は二百三十七坪。高野山金剛峯寺直末、寺格は二十等である。
沿革
草創の年代竝に、開山・開基等は詳かではないが、いつの頃か囘祿の厄に罹つて、本堂を失ひ、久しく再興に至らず、無住となつて居たといふ。其後、本堂を再建したが、其年代も亦、不明である。古來、石川寶生寺の末寺であつたが、明治七年、增德院の末に屬し、今は又、改めて高野山の直末となつた。現在高橋英禪が住持して以來、堂宇其他に修覆を加へたので、寺院の體裁を保つ様になつた。
本尊
本尊は地藏菩薩立像、長一尺、作不詳である。
堂宇
今の堂宇は、本堂 桁行三間、梁間二間半、四注造、草葺。・庫裡 桁行七間半、梁間四間半、草葺。である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
大久保山自性院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「港南の歴史」
- 「横浜市史稿 佛寺編」