王子神社|領主岡野平兵衛房恒が熊野新宮の若一王子権現を勧請
王子神社の概要
王子神社は、横浜市緑区長津田にある神社です。王子神社は、当地の領主岡野平兵衛房恒が熊野新宮の若一王子権現を勧請して慶長元年(1596年)に創建、明治6年には村社に列格していたといいます。
社号 | 王子神社 |
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祭神 | 伊弉諾命、速玉男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市緑区長津田7-5-34 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
王子神社の由緒
王子神社は、当地の領主岡野平兵衛房恒が熊野新宮の若一王子権現を勧請して慶長元年(1596年)に創建、明治6年には村社に列格していたといいます。
新編武蔵風土記稿による王子神社の由緒
(長津田村)王子権現社
除地詳ならず、小名中村にあり、当社あるを以てこの邊を宮ノ前と云、年代はしらざれど、もとの地頭岡野平兵衛房恒が勧請する所なりと云、されば御入国後遠からぬ頃のことなるべし、本社九尺四方ばかり宮作にして欄干を設け、扉には丸に酸醤草の紋を彫る、是岡野家の紋なればなり、覆屋は三間四方にして前に鳥居を立、其まへに石階あり、福泉寺持。
末社稲荷社。本社に向て左に立、傍に疱瘡神の社を立り。
(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による王子神社の由緒
天正18年(1590)徳川家康の江戸入城に伴い、その旗本岡野房恒公が長津田(千石)の領主として知行を許された。
房恒公は菩提寺として大林寺を開基し、長津田村鎮守として国家安泰極楽平穏の霊験あらたかな神として、平安時代から全国の人々に尊崇され「伊勢へ七度、熊野へ三度」とか「蟻の熊野詣で」とかいわれる程信仰の厚かった熊野三山(本宮、新宮、那智)のうち新宮(速玉大社)より若一王子権現をこの地に勧請して慶長元年(1596年)に創建、別当寺(神社の護持仏)として福泉寺を開基して管理運営に当らせた。
明治維新の神仏分離令によって権現をとり若一王子神社と改めて明治6年に長津田村の村社に列せられ村人の崇敬をあつめてきたが昭和三十三年の狩野川台風によって社殿が損壊し翌々年仮社殿を建てて、岡野家の造営になる立派な奥宮を保存してきたところ、時代の変遷と共に本殿再営の気運次第に高まり昭和六十一年全額、氏子並びに崇敬者の寄進によって台湾檜の良材を得、秋田の名工の技により権現造りの立派な社殿の完成をみたものである。(境内掲示より)
「神奈川県神社誌」による王子神社の由緒
創立の年代不詳であるが、元は王子権現又は若一王子神社と唱え、地頭岡野平兵衛房恒の勧請によると伝える。明治六年村社に列し、昭和十八年七月九日神饌幣帛料供進社に指定された。(「神奈川県神社誌」より)
王子神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿